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祖式元信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
祖式元信
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄7年(1564年
死没 寛永17年4月27日1640年6月16日
別名 通称:三次郎[1]、三左衛門[1]
官位 摂津守対馬守[1]
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 清和源氏義光流石見小笠原氏庶流祖式氏[2]
父母 父:祖式友兼[2]
兄弟 元安[2]、女(粟屋元国室)[2]
女(長井元為室)[2]長好[1]
女(今田春賀室)[1]長兼[1]
女(豊嶋八郎兵衛室)[1]元信
口羽春良の五女[3]
就辰
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祖式 元信(そしき もとのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将祖式氏石見国邑智郡祖式[注釈 1]を本拠とする国人で、毛利氏家臣長州藩士。父は祖式友兼。兄に祖式元安祖式長好祖式長兼

生涯

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永禄7年(1564年)、祖式友兼の四男として生まれ、毛利輝元に側近として召し出されて別家を興し[1]、輝元と秀就の二代に仕えた。

文禄元年(1592年)から始まる文禄の役では、兄の元安と共に、輝元に従って朝鮮へ渡った。

朝鮮の「かかい」の城を攻撃した際の負傷により保養していた元安が城内が弱っていることを見付け、元信に城へ乗り込むよう申し付けた。これによって元信は諸手に勝って城へ乗り込み、元安と共に感状を与えられた。

寛永17年(1640年4月27日、77歳で死去。後を嫡男の就辰が継いだ。

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 防長新聞社山口支社編、三坂圭治監修『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』マツノ書店、1983年8月。全国書誌番号:84027305 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻44「祖式又右衛門」、巻55「祖式右衛門八」