砂山角野
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砂山 角野(すなやま かくや[1]、1886年 - 1937年8月)は、日本光学工業(現ニコン)のレンズ設計者。
略歴
[編集]- 1886年 - 新潟県三島郡関原村(現長岡市)に生まれた。電信技師となったがその後苦学しつつ物理学校(現東京理科大学)を卒業。
- 1918年 - 東京帝国大学理学部物理学科卒業、長岡半太郎の推薦で設立直後の日本光学工業に入社。ハインリッヒ・アハトから直接指導を受けた。軍用観測機器を設計開発。
- 1925年 - 設計部長。
- 1933年 - ハインリッヒ・アハトの設計を修正しトリマー500mmF4.8、ニッコール180mmF4.5などを開発し陸軍に航空写真機を納入した。
- 1935年 - 精機光学(現キヤノン)の求めに応じニッコール50mmF3.5、ニッコール50mmF4.5を完成したがその直後脳内出血で倒れ、光学研究室主任に転出した。
- 1937年8月 - 死去。50歳。
脚注
[編集]- ^ 池上俊三 (2010). “日本における写真レンズ技術の進歩 : 軍需主導による発展と光学設計における独創性の萌芽(1925-1945年)”. 科学史研究 (日本科学史学会) 49 (255): 142.
参考文献
[編集]- 小倉磐夫『国産カメラ開発物語』