石黒昇 (陸上選手)
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選手情報 | ||||
種目 | 競歩 | |||
所属 | 郵政省東京貯金局[注釈 1] | |||
大学 | 法政大学 | |||
生年月日 | 1932年8月2日 | |||
没年月日 | 2021年2月11日(88歳没) | |||
身長 | 165cm | |||
自己ベスト | ||||
20km競歩 | 1°39’40”0(1964年) | |||
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石黒 昇(いしぐろ のぼる、1932年8月2日 - 2021年2月11日)は、日本の競歩の選手である。
経歴
[編集]元々は長距離走の選手であったが、法政大学在学時に結核を患い、断念。数年後に退院し、健康維持のために独学で競歩を始める[1][2]。
32歳で、1964年東京オリンピックの男子20キロメートル競歩に出場。1時間39分40秒0で23位だった[3][4]。旧郵政省東京貯金局(現ゆうちょ銀行貯金事務センター)に勤務していたが、競歩自体が当時社会的に認知されていなかったので、大会出場中の欠勤を理由に解雇されていた。その後、埼玉県庁に勤務する傍ら、日本陸上競技連盟で審判や強化の委員などを務めた。また、「日本競歩を強くする会」の副会長になり、年2回の合宿開催や強化費集めに奔走した[1]。
2020年東京オリンピックでは埼玉県の聖火ランナーに内定していた。だが、大会が延期に追い込まれる中、2021年2月11日、食道がんで死去した。88歳没[5]。
競歩選手仲間の親友である三輪寿美雄に石黒の写真が託され、三輪は石黒の写真を胸ポケットに納め宮崎県で聖火リレーを務めた[6]。
主な記録
[編集]- 1961年
- 第16回国民体育大会 20km競歩 2位 1時間46分42秒8[7]:89
- 1963年
- 第18回国民体育大会 20km競歩 4位 1時間43分44秒2[7]:104
- 1964年
- 東京オリンピック 20km競歩 23位 1時間39分40秒0
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1964年東京オリンピック出場時
出典
[編集]- ^ a b “「モンロー・ウオーク」と笑われた半世紀前 後輩は「世界一美しい」歩型に成長”. 毎日新聞社/小林悠太. (2019年10月10日) 2021年2月15日閲覧。
- ^ “埼玉)「正しく美しく」競歩不遇の時代支えた石黒昇さん”. 朝日新聞社. (2020年1月23日) 2021年2月15日閲覧。
- ^ “日本代表選手団 記録検索”. JOC. 2021年2月15日閲覧。
- ^ “Noboru Ishiguro Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月29日閲覧。
- ^ “1964年東京五輪の競歩代表、石黒昇さん死去…今回は聖火ランナーの予定”. 読売新聞社. (2021年2月13日) 2021年2月15日閲覧。
- ^ 「64年東京五輪・競歩代表の三輪寿美雄さんが”完歩” 宮崎・聖火リレー」『日刊スポーツ』2021年4月25日。2021年7月29日閲覧。
- ^ a b c “国民体育大会記録集” (pdf). 国民体育大会. 日本スポーツ協会. 2021年7月29日閲覧。