石谷清順
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 三蔵、隼人 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 父:石谷清茂 母:松波正英の娘 |
兄弟 | 女子、石谷清順、石谷清廣、女子 |
妻 | 有田貞勝の娘 |
石谷 清順(いしがや きよのぶ。生没年不詳)は、江戸時代の旗本。
生涯
[編集]寛政10年 (1798年)3月15日に徳川家斉に拝謁し、同年8月3日に父である石谷清茂(700石旗本)の家督を継ぎ小普請に入った。寛政11年(1799年)5月22日に小納戸となり、文化2年(1805年)11月5日に西城の小納戸になったという。
『寛政譜以降旗本家百科事典』に拠れば、石谷清順の跡は石谷練蔵が継いだとされるが、孫の代に当たる石谷房之丞の祖父は石谷織之丞と記載されている。石谷織之丞については、同名の呼称を持つ人物は『寛政重修諸家譜』にも『寛政譜以降旗本家百科事典』にも記載されておらず、石谷練蔵については実子か養子かの判別は不能である。
石谷清順の後については、石谷清順―石谷錬蔵(安政元年(1855年)小普請大島支配)-石谷房之丞(父:石谷錬蔵、祖父:石谷織之丞) と、記録される。
参考文献
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