石谷清亮
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和2年(1616年) |
死没 | 元禄8年1月27日(1695年3月11日) |
別名 | 石谷清明、七之助 |
戒名 | 了休 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 父:石谷清正、母:松井石見(尾張徳川家家臣)の娘 |
妻 | 中山直定の娘 |
子 | 女子(高木定清の妻)、女子(五味豊旨の妻)、石谷清信、石谷清長、石谷清宗 |
生涯
[編集]寛永10年8月15日(1633年)、御小姓組の番士となる。寛永20年6月9日(1643年)、進物の役となる。明暦2年12月21日(1657年)、父の石谷清正の跡を継ぐ。万治3年12月31日(1661年)、以前に増上寺の知恩院の庵室を作るときに奉行した褒賞として、時服三領、黄金二枚を賜る。寛文3年(1663年)、進物の役を解かれる。寛文8年(1668年)、京極高盛が但馬国豊岡へ転封となり、寛文8年7月1日(1668年)、同地に命令を受けて行く。寛文11年2月(1671年)、屋敷改めを務め、延宝元年7月7日(1673年)、この職を解かれる。貞享元年11月25日(1684年)番士を辞し、小普請となる。元禄7年7月10日(1694年)、致仕する。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』