石橋勇一
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石橋 勇一[1](いしばし ゆういち、1874年(明治7年)5月[1] - 没年不明)は、日本の商人(衣類商)[1][2][3]、会社役員。族籍は長崎県士族[1][4]。
人物
[編集]長崎県士族・石橋常七の長男[1][4]。1905年、家督を相続[1]。衣類商を営み日之出商会や[1]、糸山銀行(のち佐世保商業銀行と改称し、佐世保銀行と合併、親和銀行新立)、佐世保商業銀行の取締役などをつとめた[2][3][4]。住所は佐世保市島瀬町[1][2][4]。
『商工資産信用録 第34回 福岡県ほか』によると、石橋勇一(調査年月・1932年5月)は「正身身代・U、信用程度・C、職業・質古着」である[5]。
家族・親族
[編集]- 石橋家
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第7版』い178頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年7月9日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第24版』佐世保い2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年7月9日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第27版』佐世保イ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第6版』い164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年7月9日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第34回 福岡県ほか』長崎県い之部3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 交詢社『日本紳士録 第24版』交詢社、1919年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 交詢社『日本紳士録 第27版』交詢社、1922年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『商工資産信用録 第34回 福岡県ほか』商業興信所、1933年。