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石掛銀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石掛銀(こくがかりぎん)は、江戸時代大坂市中の公役(こうえき)の徴収法のひとつである。「石掛出銀」ともいう。「役掛銀」に対する。

石掛銀は町々の石高におうじて、1石あたり銀何匁何分打というように、賦課するので、土地にたいする負担である[1]

打とは賦課の意である。石掛銀は、同面積の土地であっても同一であるとはかぎらない。無役屋敷をも打ち込みにして、すべて石高を土台にして徴すべきではあるが、いったん石高を基準にして町々に賦課されたからには、その町々では無役屋敷の分をのぞき、役掛銀とあわせて、役にわりつけて徴収するのが例であった。

石掛銀の費用は文化5年11月三郷惣年寄が書き上げた「役掛石掛名目覚書」[要文献特定詳細情報]に詳しい。

脚注

[編集]
  1. ^ 井上正雄 編『大阪府全志: 巻之2』大阪府全志発行所、1922年、191頁https://books.google.co.jp/books?id=suxX666mMUEC&pg=PP2392022年8月20日閲覧。「公役は郷入用の為め町内に賦課するものをいひ、町役は町入用の為め町中に賦課するものをいふ。公役は町奉行所及び総会所に関する経費にして、其の徴収方法に依りて石掛銀・役掛銀の二種に分る、役掛銀は無役屋敷を除きたる家役に賦課し、石掛銀は町々の石高に応じて賦課す、即ち一は家屋に関する負担にして一は土地に関する負担なり。」