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石幡忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石幡 忠雄(いしはた ただお、1941年10月6日 - )は、栃木県出身のスピードスケート選手で現在は指導者。1968年グルノーブルオリンピックスピードスケート日本代表。早稲田大学卒業。

経歴

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早稲田大学卒業後の1964年に三協精機製作所(現日本電産サンキョー)スケート部に入部。全日本スピードスケート選手権大会では4度の優勝を誇った。1968年には1500mと5000mの日本代表としてグルノーブルオリンピックに出場。

1969年長野県軽井沢で行われた全日本スピードスケート選手権では、1500m、5000m、10000mの三種目で優勝。10000mの16分6秒5は当時の日本新記録[1]

引退後の1972年より三協精機スケート部監督に就任し、多くの選手を育てた。1976年インスブルックオリンピックではスピードスケート日本代表コーチ、1998年長野オリンピック2002年ソルトレイクシティオリンピックではスピードスケート日本代表監督を務め、現在は母校である早稲田大学スケート部の監督として活躍している。

主な戦績

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  • グルノーブルオリンピック男子1500m 30位
  • グルノーブルオリンピック男子5000m 22位

脚注

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  1. ^ 石幡、一万で日本新 三種目の一位を独占『朝日新聞』1969年(昭和44年)3月2日夕刊 3版 11面

関連項目

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外部リンク

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