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石川雲蝶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いしかわ うんちょう

石川 雲蝶
生誕 1814年文化11年)
江戸雑司が谷[1]
死没 1883年明治16年)5月13日
三条市[1]
墓地 本成寺
国籍 日本の旗 日本
職業 彫物師
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石川 雲蝶(いしかわ うんちょう、1814年文化11年)- 1883年明治16年)5月13日)は幕末明治初期、主に越後国新潟県)で活動した彫工(彫物師)。寺院などに、色鮮やかで躍動感溢れる木製彫刻を多く残し、絵画を含めた作品は1000点以上が現存している。

経歴と作品

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1814年(文化11年)、江戸雑司ヶ谷で生まれた。本名は安兵衛。若くして江戸彫石川流の彫物師として名を挙げ、苗字帯刀を許された。二十歳代で幕府御用勤めになり、「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。江戸での製作記録は確認出来ていない。 越後三条にある法華宗陣門流総本山・本成寺の修築のため、檀家総代の金物商・内山又蔵の招きに応じて、三国峠熊谷の源太郎と越え、越後に入った。当時から(のみ)などの金物の町として知られた三条で婿養子に入り、酒井姓となった。一男一女をもうる。現在、雲蝶は本成寺本堂脇の墓所に眠る。

代表作は、“越後日光”と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)の天井を飾る「道元禅師猛虎調伏之図」。このほか越後国で、永林寺の欄間などの彫刻群や、秋葉神社奥の院(別当常安寺 (長岡市)栃尾市)、瑞祥庵金剛力士像(湯沢町)など、多くの彫刻を各地に残した。後に三条に戻り、1883年(明治16年)70歳で死去した。法名は観具院真性日安信士。墓は三条市本成寺にある。弟子に北村久助、川村徳治という者がいたという。

石川雲蝶には「酒好き」「興が乗らなければ鑿を握らなかった」等様々な人物像が語られているが、写真や記録等のはっきりとした資料は無い。その彫刻の多くは色鮮やかで彫りが深く、何層にも彫り重ねられた精巧さと大胆な構図が特徴であり、それらの作品からは多識で真面目な人柄がうかがえる。

再評価

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西福寺。

雲蝶作品に興味を持った新潟県在住の写真家・木原尚が1991年から、紹介記事を『新潟日報』に一年ほど連載し、1993年には『越後の名匠 石川雲蝶』を刊行した。これを見て、寺院だけでなくその檀家など個人宅からも「似た木彫りがある」といった情報が寄せられるようになった。木原の調査によると、通常は非公開の物や置物、絵画なども含めた雲蝶作品は1000点以上が確認されている[2]

さらに古美術品鑑定家中島誠之助NHKテレビ番組『古寺巡礼』で新潟県を訪れた際、雲蝶作品を見て、感嘆のあまり「これは越後のミケランジェロだ」と叫んだ[3]。これを機に、雲蝶は“越後(日本)のミケランジェロ”として全国的に知名度が高まり、地元自治体や作品を所蔵する寺も観光PRに使っている。

2011年(平成23年)9月17日、西福寺 (魚沼市)境内に「石川雲蝶 顕彰の像」が建立された[1]。 この銅像は、檀家の人達の「石川雲蝶の作品(宝)を後世に譲り伝え、その功績を称えたい」との声から始まったもので、それに賛同した松田毅氏(南魚沼市出身/東京在住)が、石川雲蝶の末裔(酒井家/東京在住)探しから銅像制作・監修・設置までをトータルプロデュースし、末裔(酒井家)や地域住民、魚沼市・魚沼観光協会、銅像制作会社、檀家・西福寺など様々な人達の協力を得て完成したものである。2014年(平成26年)は石川雲蝶生誕200年となる[1]2015年12月10日、南魚沼雲蝶会(会長:中島すい子[4])が設立された [5]

参考資料

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  • 木原尚『越後の名匠 石川雲蝶』(初刷)新潟日報事業社、1993年。ISBN 978-4-88862-479-4 
  • 木原尚『越後の名匠 石川雲蝶』(新装版)新潟日報事業社、2010年。ISBN 978-4-86132-403-1 
  • 木原尚『越後の名匠 石川雲蝶』(増補改訂版)新潟日報事業社、2019年。ISBN 978-4-86132-713-1 
  • 中島すい子『私の恋した雲蝶さま~いま蘇る越後のミケランジェロ~』現代書館、2014年3月。ISBN 978-4-7684-5727-6 
  • 江川慎太郎 (2014年9月20日). “彫刻師「日本のミケランジェロ」石川雲蝶、尽きぬ魅力 生誕200年、沸く新潟”. 朝日新聞』(夕刊): p. 10. http://www.asahi.com/articles/DA3S11360843.html 2014年9月29日閲覧。 
  • 中島すい子『観光バスガイド中島すい子が案内する 石川雲蝶作品めぐりDVD』株式会社みらい、2015年8月。 [6][7]

脚注

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  1. ^ a b c d 江川慎太郎 2014.
  2. ^ 木原尚「追跡 越後のミケランジェロ◇江戸・明治の彫工、石川雲蝶 埋もれた作品を調査◇」『日本経済新聞』朝刊2017年6月13日文化面
  3. ^ “『私が恋した雲蝶さま』書評(中島誠之助)”. 産経新聞サイト. (2014年9月13日). https://web.archive.org/web/20141130031748/http://www.sankei.com/life/news/140913/lif1409130012-n1.html 
  4. ^ 中島 すい子”. facebook. 2016年1月24日閲覧。
  5. ^ 南魚沼雲蝶会”. facebook. 2016年1月24日閲覧。
  6. ^ 雲蝶作品めぐり”. 株式会社みらい. 2015年9月5日閲覧。
  7. ^ 観光バスガイド中島すい子が案内する 石川雲蝶作品めぐりDVD”. facebook. 2015年9月5日閲覧。


外部リンク

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