石川茂次
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時代 | 戦国時代→江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 元禄5年(1692年)1月15日 |
改名 | 茂次→常安 |
別名 | 吉左衛門(通称)、常安 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 細川忠利 |
氏族 | 横尾氏→石川氏 |
父母 |
父:横尾某、母:永田亮智妹 養父:石川常安 |
子 | 茂貞、男、男、男 |
石川 茂次(いしかわ しげつぐ、不明 - 1692年)は、江戸時代後期の武士・陽明学者。
出自
[編集]本姓は横尾氏とされる。母は永田亮智の妹であり、永田氏は高島高信の次男・胤信の末裔とされる[1]。
概要
[編集]近江国高島郷小川村に住んでおり、石川常安に養われたとされる。また中江藤樹から陽明学を学んでいた。後に肥後細川氏に仕えたものの、寛永9年(1632年)には陽明学者であることを理由に致仕し、弟子で従兄弟(母の兄の子)の朝山次郎左衛門と共に家族を残して洛西の嵯峨に移住し、元禄5年(1692年)1月15日に死去した[2][3]。