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石川茂次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石川茂次
時代 戦国時代江戸時代前期
生誕 不明
死没 元禄5年(1692年)1月15日
改名 茂次→常安
別名 吉左衛門(通称)、常安
幕府 江戸幕府
主君 細川忠利
氏族 横尾氏石川氏
父母 父:横尾某、母:永田亮智
養父:石川常安
茂貞、男、男、男
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石川 茂次(いしかわ しげつぐ、不明 - 1692年)は、江戸時代後期の武士陽明学者

出自

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本姓横尾氏とされる。母は永田亮智の妹であり、永田氏高島高信の次男・胤信の末裔とされる[1]

概要

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近江国高島郷小川村に住んでおり、石川常安に養われたとされる。また中江藤樹から陽明学を学んでいた。後に肥後細川氏に仕えたものの、寛永9年(1632年)には陽明学者であることを理由に致仕し、弟子で従兄弟(母の兄の子)の朝山次郎左衛門と共に家族を残して洛西の嵯峨に移住し、元禄5年(1692年)1月15日に死去した[2][3]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 平井聖『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』(新人物往来社、1980年)
  2. ^ 高野和人『北嶋雪山の生涯』(青潮社、1971年)
  3. ^ 川口恭子「細川家家臣略系譜[1]