石川好
石川 好 いしかわ よしみ | |
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誕生 |
1947年1月5日 東京都大島町波浮港 |
死没 |
2024年8月19日(77歳没) 東京都 |
職業 | ノンフィクション作家、ジャーナリスト、時事問題評論家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
代表作 | 『ストロベリー・ロード』 |
主な受賞歴 | 第20回大宅壮一ノンフィクション賞 |
デビュー作 | 『カリフォルニア・ストーリー』 |
配偶者 | 殿谷みな子 |
石川 好(いしかわ よしみ、男性、1947年(昭和22年)1月5日 - 2024年(令和6年)8月19日)は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト、時事問題評論家。 妻は小説家の殿谷みな子。
経歴・人物
[編集]1947年、東京都伊豆大島(大島町波浮港)生まれ[1]。1959年、大島町立第三中学校入学。1962年、東京都立大島高等学校入学。大島高校では野球部に所属し主将を務めた[2]。1965年、都立高校卒業と同時に先行渡米していた実兄を頼り、短期農業移民資格でアメリカ・カリフォルニア州へ渡る[1]。カリフォルニア州では、兄の勤めていた農園で働く[1]。1969年に帰国。1974年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業[1]。大学卒業後、再渡米し、庭園業を営む[1]。1981年帰国、銀座のクラブのマネージャーとして働く[1]。
1983年、『カリフォルニア・ストーリー』にて作家デビュー[1]。以降、日米関係・日米移民史を軸に著作活動を展開する。1989年、カリフォルニアでの農園生活をドキュメンタリーで描いた『ストロベリー・ロード』にて、第20回大宅壮一ノンフィクション賞受賞[1][3]。1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。
1995年の第17回参議院議員通常選挙では、新党さきがけの公認候補として神奈川県選挙区から立候補するも、落選[1]。後に民間の選挙啓発団体「選挙に行こう勢!」の共同代表を務めた[1]。2001年から、秋田公立美術工芸短期大学学長に就き、大学改革に取り組み[1]、ノースアジア大学客員教授も担う。このほか、2009年からは酒田市美術館館長も務める。
2024年8月19日、急性心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した[4][5]。77歳没。
著書
[編集]- 『カリフォルニア・ストーリー』(1983年、中公新書)
- 『カリフォルニア・ナウ 新しいアメリカ人の出現』(1984年、中公新書)
- 『燃えるカリフォルニア 日米経済戦争の行方を探る』(1984年、PHP研究所)
- 『鎖国の感情を排す 石川好・戦後とアメリカを質す12篇』(1985年、文藝春秋)
- 『青春の探究オカルトの投手桑田真澄』(1987年、毎日新聞社)
- 『投手桑田真澄の青春』(1996年、現代教養文庫)
- 『投手・桑田真澄の青春』(2007年、シンコーミュージック・エンタテイメント)
- 『苦悩するアメリカ孤立する日本 摩擦と国際化の本質を読む』(1987年、PHP研究所)
- 『シャドウ・ピッチング 巨人軍・桑田真澄』(1988年、パンリサーチインスティテュート)
- 『ストロベリー・ロード』(1988年、早川書房→文春文庫→七つ森書館)
- 『ヒトの開国かヒトの鎖国か 日本の選択』(1988年、パンリサーチインスティテュート)
- 『意見』(1989年、河合出版)
- 『ストロベリー・ボーイ ストロベリー・ロードpart 2』(1990年、文藝春秋→文春文庫)
- 『新堕落論 武装解除された日本人の思想的拠点』(1991年、徳間書店)
- 『アメリカの歌をもとめて 「1992年アメリカ」への旅』(1992年、中央公論社)
- 『親米反米嫌米論』(1992年、新潮社)
- 『親日反日嫌日論』(1993年、新潮社)
- 『ガーデン・ボーイ ストロベリー・ロードpart 3』(1994年、文藝春秋→文春文庫)
- 『大議論 政治的冒険のために』(1994年、朝日新聞社)
- 『日本「半主権国家」宣言 続・新堕落論』(1994年、徳間書店)
- 『舌戦3650日 対談集』(1994年、NTT出版)
- 『日本はアジアの後衛たれ 有言者がつくる民主主義』(1995年、東洋経済新報社)
- 『孫正義が吹く デジタル情報革命の伝道師』(1997年、東洋経済新報社→小学館文庫)
- 『フィリピン・ラテンアジア感情旅行』(1997年、日本放送出版協会)
- 『異論あり。動かぬ日本を、動かすために』(1998年、PHP研究所)
- 『錬金 キャッシュ・ジャンキー』(1998年、新潮社)
- 『南海の稲妻大和の虹 生きているだけで丸もうけ』(1999年、岩波書店)
- 『60年代って何?』(2006年、岩波書店)
- 『中国という難問 生活人新書』(2008年、日本放送出版協会)
- 『秋田について考えた事』(2010年、無明舎出版)
- 『湖南省と日本の交流素描―中国を変えた湖南人の底力 』(2010年、日本僑報社)
- 『漫画家たちの「8・15」 中国で日本人の戦争体験を語る』潮出版社 2013
- 『南京大虐殺記念館からはじまった 漫画家たちのマンガ外交』彩流社 2015
- 『二階俊博全身政治家』日本僑報社, 2017.12
共著・監修
[編集]- 『アメリカとAmerica 日米摩擦の底流にあるもの』(1986年、時事通信社→ちくま文庫)共著:鮎川信夫
- 『アメリカと合衆国の間』(1987年、時事通信社)共著:中上健次
- 『死角のなかのアメリカ』(1988年、毎日新聞社)共著:栗本慎一郎
- 『覚悟! 朝まで討論=〈日本〉』(1989年、弓立社)共著:西部邁
- 『辛口甘口へらず口 国と社会と人のかたち』(1995年、清流出版)共著:佐高信
- 『日本を解読する』(1996年、五月書房)共著:松本健一
- 『中坊公平という現場』(2002年、五月書房)共著:中坊公平
- 『創業は創職である。』(2002年、東洋経済新報社)共著:南部靖之
- 『三元豚に賭けた男 新田嘉一 平田牧場の43年』(2010年、七つ森書館) 共著:佐高信
- 程麻, 林振江『李徳全 日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性 日中国交正常化45周年記念出版』監修, 林光江, 古市雅子訳. 日本僑報社, 2017.9
- 高橋英彦『北前船航路の旅 日本海の風景』監修. 国際経済科学文化連携機構, 2019.8
翻訳
[編集]- フランク・S.マツラ『フロンティアの残影 日本人松浦の撮った西部』(1983年、平凡社)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k “外務省: 石川好氏(秋田公立美術工芸短期大学学長)略歴”. www.mofa.go.jp. 2021年12月9日閲覧。
- ^ '98高校野球 ゆとり増えたよ 現代高校野球部2022年1月7日閲覧
- ^ 大宅壮一ノンフィクション賞・歴代受賞者大宅壮一ノンフィクション賞歴代受賞者サイト 2012年7月16日閲覧
- ^ “作家の石川好さんが死去…「ストロベリー・ロード」で大宅壮一ノンフィクション賞”. 讀賣新聞オンライン (2024年8月21日). 2024年8月21日閲覧。
- ^ 作家・石川好さん死去 77歳、ノンフィクション - 共同通信 2024年8月21日