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石川卯一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石川 卯一郎(いしかわ ういちろう、文久2年[1] - 大正8年(1919年)11月)は、日本実業家。関東酸曹常務取締役[2]東京府平民[2]

丁稚奉公から身を興し、苦闘のすえ、昭和電工日産化学の前身である関東酸曹という会社を創立した[3]

初代経団連会長石川一郎の父。元鹿島会長、日本商工会議所会頭の石川六郎の祖父。

経歴

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大坂に生まれる[4]。石川伊助の長男[2]。生家は江戸時代、「宇田屋」という屋号商家[5]だった[6]

明治10年(1877年[4]東京に出てきて[6]、苦学した[4]海軍の軍人になろうとしたが、背の高さが足りずに諦め、大蔵省印刷局に奉職した[6]。関東酸曹という会社を設立した。

家族・親族

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石川家

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大阪府東京府北豊島郡瀧野川町大字西ヶ原[2](現東京都北区))墓所:染井霊園
  • 父・伊助[2]
  • 母・マツ(大阪府平民、伊木庄兵衛二女[7]
天保4年7月生[7] - 没
  • 妹・チカ(大阪府平民、宮部文七の養子となる[2]
明治20年(1887年)11月生[2] - 没
  • 妻・カネ(東京、・宇津信勝三女[2]
元治元年正月生[2] - 没
明治18年(1885年11月[2] - 昭和45年(1970年)1月没
明治23年(1890年)1月生[2] - 没
  • 三男・三郎[2](実業家)
明治29年(1896年)8月生[2] - 没
明治37年(1904年)1月生[2] - 没
明治21年(1888年)1月生[2] - 没
明治25年(1892年)3月生[2] - 没
明治25年(1892年)3月生[2] - 没
  • 女・秋江[2]
明治31年(1898年)8月生[2] - 没
  • 女・雅子[2]
明治35年(1902年)5月生[2] - 没

人物像

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沈毅寡言にして物に動せず、頗る算數に巧みにして事物講究の念極めて緻密周到なり、又物に執着する癖ありて多種多様の職に従ふを厭ふ[4]

参考文献

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  • 『実業家人名辞典』(監修者・由井常彦、浅野俊光、1990年、イ一七頁)
  • 神一行『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』(角川書店、2002年、298頁)

脚注

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  1. ^ 出生した年は『実業家人名辞典』(監修者・由井常彦、浅野俊光、1990年、イ一七頁によれば「文久2年3月」だが『人事興信録. 5版』(大正7年)い一九三によれば「万延元年9月25日」である
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『人事興信録. 5版』(大正7年)い一九三
  3. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 298頁
  4. ^ a b c d 『実業家人名辞典』イ一七頁
  5. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 298頁には「石川家はもともと大阪の農家の出である」とある
  6. ^ a b c 石川六郎『私の履歴書
  7. ^ a b 『人事興信録. 4版』(大正4年)い一四一