石峠館
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石峠館 (岩手県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 豊間根氏(石峠氏) |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 豊間根家任[1] |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、石垣、掘、石碑[1] |
指定文化財 | 史跡等未指定[2] |
位置 | 北緯39度32分43.8秒 東経141度55分29.9秒 / 北緯39.545500度 東経141.924972度座標: 北緯39度32分43.8秒 東経141度55分29.9秒 / 北緯39.545500度 東経141.924972度 |
地図 |
石峠館(いしとうげだて)は、岩手県下閉伊郡山田町石峠第2地割にあった日本の城。
概要
[編集]戦国時代の武士・豊間根氏の同族である石峠氏(古くは「石至下」とも記した)の本拠地で、津軽石川(豊間根川)と荒川川の合流点北西の台地上に位置する[3]。史料上での城主に豊間根家任の名が知られる[1]。中世から近世にかけての居館跡が残っており、北側には山からの沢を利用した水掘の跡がみられる。
この地に土着した安倍氏が永禄年間(1558~69年)に、峠に石垣を築いて襲撃に備えたと伝承されている(『豊間根文書』)。
なお、天正11年(1583年)の払川館主・一戸行重の謀殺事件で、随行して討死したものの中に石峠八郎なる者がいる[4]。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-040-01030-2。
- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
- 岩手県教育委員会『岩手県中世城館跡分布調査報告書』 82巻、1986年3月30日、71頁 。