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石塚貢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石塚 貢(いしづか みつぐ、1932年11月22日 - 2020年11月16日)は、日本科学技術官僚私立大学出身者としては初となる科学技術事務次官や、海洋科学技術センター理事長、科学技術会議議員などを歴任した。

人物・経歴

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1959年日本大学理工学部機械工学科卒業、科学技術庁入庁、原子力局管理課。1971年外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官。1974年科学技術庁原子力局放射能課長。その後核燃料規制課長、調査国際協力課長、原子炉規制課長、総合研究課長と課長職を5つ務め、1983年科学技術庁長官官房秘書課長。1986年原子力委員会専門委員。1987年科学技術庁原子力安全局長。1988年科学技術庁科学技術政策局長。1990年科学技術庁科学審議官。1991年科学技術事務次官[1][2][3]。私立大学卒初の事務次官であった。1992年海洋科学技術センター理事長[4]科学技術会議議員、科学技術会議政策委員、21世紀の社会と科学技術を考える懇談会委員なども歴任した[5]。2004年瑞宝重光章受章[6]

2020年11月16日、死去[7]。87歳没。死没日をもって正四位に叙される[8]

略歴

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  • 1959年3月 日本大学理工学部機械工学科卒業
  • 1959年4月 科学技術庁入庁。原子力局管理課。
  • 1966年7月 科学技術庁原子力局アイソトープ課長補佐
  • 1968年2月 科学技術庁研究調整局総合研究課長補佐
  • 1969年9月 経済協力開発機構日本政府代表部二等書記官
  • 1971年7月 外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官
  • 1973年8月 科学技術庁計画局計画課長補佐
  • 1973年11月 科学技術庁長官官房秘書課長補佐(大臣秘書官事務取扱・森山欽司)
  • 1974年11月 科学技術庁原子力局放射能課長
  • 1976年1月 科学技術庁原子力安全局核燃料規制課長
  • 1978年4月 科学技術庁原子力局調査国際協力課長
  • 1980年7月 科学技術庁原子力安全局原子炉規制課長
  • 1982年7月 科学技術庁研究調整局総合研究課長
  • 1983年6月 科学技術庁長官官房秘書課長
  • 1985年6月 通商産業大臣官房審議官 (通商政策局担当)
  • 1986年6月 科学技術庁長官官房審議官(原子力局担当)
  • 1987年7月 科学技術庁原子力安全局長
  • 1988年7月 科学技術庁科学技術政策局長
  • 1990年6月 科学技術庁科学審議官
  • 1991年6月 科学技術事務次官

脚註

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  1. ^ 「ご挨拶」桜門技術士会設立20周年記念誌 祝辞
  2. ^ 「相談役 清野茂次(元会長)(土木31)技術士そして桜門技術士会」櫻門技術士会 第四代会長
  3. ^ 「人事異動」原子力委員会
  4. ^ 海洋科学技術センター新理事長に石塚貢氏就任JAMSTEC. 4(4)(16)
  5. ^ 21世紀の社会と科学技術を考える懇談会文部科学省
  6. ^ [秋の叙勲] 有馬氏に旭日大綬章 都甲氏に旭日重光章原子力産業新聞 2004年11月4日 第2258号 <1面>
  7. ^ 石塚貢氏が死去 元科学技術事務次官”. 日本経済新聞 (2020年11月25日). 2020年11月25日閲覧。
  8. ^ 『官報』第400号10頁 令和2年12月23日号
先代
佐々木壽康
科学技術庁原子力安全局長
1987年 - 1988年
次代
村上健一
先代
加藤昭六
科学技術庁科学技術政策局長
1988年 - 1990年
次代
須田忠義
先代
井田勝久
科学審議官
1990年 - 1991年
次代
平野拓也
先代
中村守孝
科学技術事務次官
1991年 - 1992年
次代
平野拓也