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石塚仁太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石塚仁太郎
いしつか じんたろう
生年月日 (1950-10-20) 1950年10月20日(74歳)
出身校 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
称号 旭日中綬章

選挙区 坂東市五霞町境町選挙区
当選回数 2回
在任期間 2010年 - 2018年

初代 坂東市長
当選回数 1回
在任期間 2005年4月17日 - 2009年4月16日

当選回数 3回
在任期間 1994年4月28日 - 2005年3月21日

岩井市議会議員
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石塚 仁太郎(いしつか じんたろう、1950年昭和25年)10月20日[1] - )は、茨城県政治家早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。茨城県岩井市長。初代坂東市長。茨城県市長会会長。茨城県国民保険団体連合会理事長。東京メトロ有楽町線建設誘致期成同盟会副会長。父は岩井市議会の議長を務めた。持論は『市長3期説』。

経歴

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1986年1月の岩井市議会議員選挙において初当選。1994年の岩井市長選挙に、現職の吉原英一とその父・三郎時代から続く長期政権反対を訴え、2期8年までしか務めないという公約で出馬し初当選。1998年にも吉原英一と争い再選し、岩井市・猿島町が合併し坂東市が誕生するまで市長を務めた。2005年3月の坂東市長選挙において無投票当選。

2008年に発覚した茨城県国民健康保険団体連合会10億円横領事件では、同会理事長として対応に追われた。

2009年4月12日に行われた坂東市長選では三度吉原英一と一騎討ちとなった。石塚は、自民党の国会議員や県連、大半の市議らの応援を得て組織戦を展開したが、1000票余りの差で落選した。

2010年12月12日に行われた茨城県議会議員選挙において初当選。

2014年茨城県議会議員選挙で無投票再選。

2018年茨城県議会議員選挙への不出馬を表明し政界引退[2]

2022年、旭日中綬章受章[3]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、77頁。
  2. ^ 引退の石塚氏の次男、茨城県議選に立候補表明産経新聞2018年9月9日付
  3. ^ 『官報』号外第97号、令和4年5月2日

参考文献

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  • 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X