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石坂鈴之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石坂鈴之助
時代 江戸時代
生誕 嘉永5年(1853年)
別名 弥次右衛門
墓所 興岳寺東京都八王子市
幕府 江戸幕府
主君 徳川家
氏族 石坂家
父母 石坂義礼
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石坂 鈴之助(いしざか すずのすけ、嘉永5年(1853年) - 不明)は、幕末旗本八王子千人頭。通称、弥次右衛門。父は石坂義礼


略歴

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1868年(慶応4年)4月、父の石坂義礼戊辰戦争時に日光を無血開城し、切腹し果てた。これを受けて12代目に就任する、15歳。

1868年(慶応4年)7月、八王子千人隊解散後、千人頭河野仲次郎と共に彰義隊に参加。徳川家霊廟の警護担当。上野戦争を経て八王子に戻る。首謀者のみが処罰され、鈴之助は罪は不問とされた。

1868年(慶応4年)、志村貞廉ら総勢11名にて、駿府の小島町(現・静岡市清水区小島町)に移住した記録が残る。

参考文献

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  • 志村貞廉『志村貞廉日記』八王子市教育委員会、2012年
  • 馬場憲一 「法政史学 31巻」、法政大学史学会、1979年