石坂鈴之助
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 嘉永5年(1853年) |
別名 | 弥次右衛門 |
墓所 | 興岳寺(東京都八王子市) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家 |
氏族 | 石坂家 |
父母 | 石坂義礼 |
石坂 鈴之助(いしざか すずのすけ、嘉永5年(1853年) - 不明)は、幕末の旗本。八王子千人頭。通称、弥次右衛門。父は石坂義礼。
略歴
[編集]1868年(慶応4年)4月、父の石坂義礼は戊辰戦争時に日光を無血開城し、切腹し果てた。これを受けて12代目に就任する、15歳。
1868年(慶応4年)7月、八王子千人隊解散後、千人頭河野仲次郎と共に彰義隊に参加。徳川家霊廟の警護担当。上野戦争を経て八王子に戻る。首謀者のみが処罰され、鈴之助は罪は不問とされた。
1868年(慶応4年)、志村貞廉ら総勢11名にて、駿府の小島町(現・静岡市清水区小島町)に移住した記録が残る。
参考文献
[編集]- 志村貞廉『志村貞廉日記』八王子市教育委員会、2012年
- 馬場憲一 「法政史学 31巻」、法政大学史学会、1979年