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石割松太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石割 松太郎(いしわり まつたろう、1881年1月24日 - 1936年6月29日)は、演劇および演芸研究家・評論家。ジャーナリスト。

生涯

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大阪府出身(生家跡は堺市立青少年センターになっており、碑が建立されている)。

1905年早稲田大学文学部卒業。国書刊行会日本新聞都新聞帝国新聞大阪新報各社を経て1917年大阪毎日新聞社に入り、劇評を担当した。

1922年、『サンデー毎日』の発刊に参加したが、白井喬二の『新撰組』を同紙に掲載する際、初めて「大衆文芸」と銘打った人物とされる[1]

1929年大毎を退社、1932年に早大講師となり、浄瑠璃江戸文芸を教えた。

主として人形浄瑠璃の歴史について著作がある[2]

著書

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  • 『人形芝居雑話』春陽堂 1930
  • 『人形芝居の研究』更生閣 1933
  • 『近世演劇雑考』岡倉書房 1934
  • 祥瑞の研究』宝雲舎 1934
  • 『人形芝居の研究 石割松太郎選集』修文館 1943
  • 『文楽雑話 石割松太郎選集』修文館 1944
  • 『随筆世話もの談義』盛田嘉徳編 誠光社 1948
  • 『文楽の芸術』早川書房 悲劇喜劇選書 1949
共著
  • 『現代語訳国文学全集 第20巻 西鶴名作集 上』暉峻康隆共著 非凡閣 1937

脚注

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  1. ^ 戸板康二「石割松太郎」『演芸画報・人物誌』青蛙房、1970年、263頁。 
  2. ^ 日本人名大辞典、『日本近代文学大事典』講談社