石井裕 (コンピューター研究者)
石井 裕 (いしい ひろし) | |
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生誕 |
1956年2月4日(68歳) 東京都 |
国籍 | 日本 |
教育 |
北海道大学工学部卒業 北海道大学大学院 工学研究科修士課程修了 |
配偶者 | 菅谷明子(妻) |
業績 | |
専門分野 | 情報工学 |
勤務先 |
日本電信電話公社 NTTヒューマンインターフェース研究所 マサチューセッツ工科大学 |
受賞歴 | SIGCHI LIFETIME RESEARCH AWARD |
石井 裕(いしい ひろし、1956年2月4日 - )は、日本のコンピュータ研究者、工学者。東京都生まれ[1]。5歳のときに北海道札幌市に移る[1]。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学教授。専門は情報工学。
タンジブル・ビット研究の創始者。モットーは「人の二倍働いて、三倍の成果を出す」
経歴
[編集]北海道新聞社のエンジニアであった父親の影響で、幼時からコンピュータに興味を持つ[1]。北海道札幌南高等学校[1]、北海道大学工学部電子工学科卒業。同大学大学院情報工学専攻修士課程修了。
電電公社入社。その後、北海道大学より論文博士号(工学博士)を取得。西ドイツ(当時)のGMD研究所客員研究員、NTTヒューマンインターフェース研究所、トロント大学客員助教授、MIT教授を歴任。現在MITメディアラボ副所長。
2012年、国際社会において優れた活動を行い、「日本」の発信に貢献したとして、内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」[2]の一人に選ばれた。
研究
[編集]「現実世界で触ったり操作する“モノ”の世界と、サイバースペースとを如何に繋ぐか」を主要な研究テーマとする[3]。NTTヒューマンインターフェース研究所在籍時に、距離を越えて協同描画ができる「クリアボード」を同僚の小林稔と開発[3]。この研究がコンピューター研究者のアラン・ケイ、MITメディアラボ創設者のニコラス・ネグロポンテに認められ、1995年秋にMITへ移籍[3]。MITメディアラボでタンジブル・メディア・グループを創設。タンジブル・ユーザ・インターフェース(デジタル情報を有形化して直接操作を可能とするユーザインタフェース技術)の研究が認められ、2001年にテニュア(終身在職権)を取得。2006年には ACM SIGCHI から CHI Academy を受賞。2019年にアジア人初となるSIGCHI LIFETIME RESEARCH AWARD(生涯研究者賞)を受賞[4]。
主な著作
[編集]- グループウェアのデザイン(共立出版 1994年)
- CSCWとグループウェアー 協創メディアとしてのコンピューター(オーム社 1994年)
- タンジブル・ビット:情報の感触・情報の気配(NTT出版 2000年)
脚注
[編集]- ^ a b c d 辻岡英信 (2015年9月25日). “【石井裕さん】コンピューターの100年先を思い描く”. 北海道新聞. オリジナルの2016年9月7日時点におけるアーカイブ。 2018年2月14日閲覧。
- ^ (japanese)『世界で活躍し『日本』を発信する日本人 プロジェクト』(pdf)(プレスリリース)内閣府国家戦略室、2012年9月 。2013年1月21日閲覧。
- ^ a b c 北海道新聞1997年4月9日夕刊「研究の最先端で実力発揮 - MIT准教授の石井裕氏(北大出身)
- ^ “2019 SIGCHI Awards – ACM SIGCHI” (英語). 2021年1月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Hiroshi Ishii's Home Page
- Tangible Media Group's Home Page
- 前陣速攻愛板談義 石井裕×古川享 - ウェイバックマシン(2010年11月24日アーカイブ分)
- Hiroshi Ishii 石井裕 (@ishii_mit) - X(旧Twitter)
- Hiroshi Ishii石井裕_BOT (@ishii_mit_BOT) - X(旧Twitter)