知空
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知空 | |
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1634年 - 1718年9月7日 寛永11年 - 享保3年8月13日 | |
名 | 性応 |
号 | 大可子・臥雲叟 |
諡号 | 演慈院 |
生地 | 山城国 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 本願寺派 |
寺院 | 山城真覚寺、光隆寺 |
師 | 円海、西吟 |
弟子 | 若霖 |
知空(ちくう、1634年(寛永11年) - 1718年9月7日(享保3年8月13日)[1])は、江戸時代前期から中期にかけての浄土真宗の学僧、浄土真宗本願寺派第2代能化。
概要
[編集]俗姓は渡辺、字は性応、諡は演慈院、号は大可子・臥雲叟。山城国真覚寺に明性の四男として生まれ、はじめは兄の円海に学ぶ。浄土真宗本願寺派初代能化・西吟に師事し、光隆寺を開いて住職となる。1660年(万治3年)、第2代能化に任じられる。各地の異義を破し真宗正義の宣布に努め、諸国を巡化して布教に尽力した。1695年(元禄8年)学林[2]を再興した。弟子に若霖(第3代能化)がいる。
著書
[編集]- 『三帖和讃首書』
- 『正信偈要解首書』
- 『鷺森含豪』
- 『安楽集鑰聞』
脚注
[編集]- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 学問を勉学する寮舎。大谷派では学寮という。
参考文献
[編集]- 『真宗辞典』(法蔵館)
- 『真宗新辞典』(法蔵館)