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知礼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知礼
建隆元年 - 天聖6年1月5日
960年 - 1028年2月3日
諡号 法智大師
尊称 四明尊者、四明大法師
生地 明州
宗派 天台宗山家派
寺院 乾符寺、延慶寺
義通
弟子 尚賢本如
著作 『十義書』・『観心二百問』
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知礼(ちれい)は、中国北宋代の天台宗山家派の僧。四明智礼(しめい ちれい)と呼ばれ、四明尊者、四明大法師とも尊称される。天台宗の第14祖に擬せられている。

生涯

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俗姓は金氏。字は約言、法智大師と諡された。明州の出身。

7歳の時に出家し、20歳で義通に入門して天台教学を修学した。最初は乾符寺に住し、その後、四明の延慶寺(保恩院)に変わった。講述を専らにして、山外派に属する智円慶昭らと、その宗学や法系上の相違により対立し、盛んに宗学上の論争を繰り広げた。結果的に、分裂し混乱の極みにあった天台宗門の正灯を保持し、中興と称された。

その門下からは、尚賢本如梵臻らの僧が出て、各々が一派をなした。

著書

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  • 『十義書』
  • 『観心二百問』
  • 『観無量寿経疏妙宗鈔』
  • 『金光明玄義拾遺記』
  • 『観音義疏記』

ほか。

伝記資料

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参考文献

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  • 宮澤勘次『四明知礼 : 観経疏妙宗鈔の研究』 立正大学〈博士 (文学) 甲第9号〉、1995年。doi:10.11501/3099803NAID 500000117365https://doi.org/10.11501/3099803 
  • 池田魯參「四明知禮の生涯と著述」『東洋文化研究所紀要』第100巻、東京大学東洋文化研究所、1986年3月、195-247頁、doi:10.15083/00027230ISSN 05638089NAID 120000872665 
  • 安藤俊雄「恵心僧都と四明知礼(上) -- 趙宋期における日中天台の交流 --」『佛教学セミナー』第8巻、大谷大学佛教学会、1968年10月、1-16頁、CRID 1050282813476849536ISSN 0287-1556 
  • 安藤俊雄「恵心僧都と四明知礼(下) -- 趙宋期における日中天台の交流 --」『佛教学セミナー』第9巻、大谷大学佛教学会、1969年5月、15-24頁、CRID 1050001338500136576ISSN 0287-1556 
師:義通天台宗(中国)弟子:尚賢本如