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知念第二サイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知念第二サイト
Chinen Site 2
知念半島の米軍基地
知念第一サイト・知念第ニサイト
1970年の空中写真では黒塗りされている。
種類FAC6269
施設情報
管理者沖縄の米軍基地
歴史
使用期間1945-1973

知念第二サイト(ちねんだいにサイト、英語: Chinen Site No.2)は、沖縄県南城市知念半島にあったアメリカ陸軍のミサイルサイト。南城市佐敷(西側)にある管理施設と南城市知念(東側)にあるミサイルサイトの2か所に分かれていた。1973年に航空自衛隊に移管され、知念分屯基地の管理地区と運用地区となった。

概要

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知念第2陸軍補助施設

  • 旧名: 知念第二陸軍補助施設(Chinen Army Annex No.2)
  • 改称: 知念第二サイト(Chinen Site No.2)[1]
  • 施設番号: FAC6269
  • 所在地:玉城村、知念村、佐敷村(北側)
  • 面積:約311,600m2
  • 管理:アメリカ陸軍
施設番号 基地名(1972年時点) 旧称 現在
FAC6268 知念第一サイト 知念第1陸軍補助施設 陸上自衛隊知念分屯地
FAC6269 知念第二サイト 知念第2陸軍補助施設 航空自衛隊知念分屯基地

歴史

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  • アメリカ陸軍第30防空砲兵旅団が「知念第二陸軍補助施設」として使用。
  • 1957年7月8日 - アメリカ公文書館の記録にナイキ・ハーキュリーズの配備計画が知念サイトを含む8か所であると記載されている。アメリカ陸軍第30防空砲兵旅団が「知念第二陸軍補助施設」として使用[2]
  • 1972年5月15日 - 沖縄返還にともない「知念第二サイト」に名称変更(ミサイル・サイト)[1]
  ナイキ配備 備考
1 第1サイト ボロー・ポイント射撃場(読谷) 返還
2 第2サイト 恩納ポイント(恩納サイト) 航空自衛隊恩納分屯基地に移管
3 第3サイト 石川陸軍補助施設(天願) 返還
4 第4サイト 西原陸軍補助施設ホワイト・ビーチ地区 返還
5 第5サイト 普天間飛行場
6 第6サイト 知念第二サイト 航空自衛隊知念分屯基地に移管
7 第7サイト 与座岳サイト 陸上自衛隊南与座分屯地に移管
8 第8サイト 那覇サイト 航空自衛隊那覇基地に移管
アメリカ陸軍の知念第二サイトは西側 (佐敷)の管理地区と東側のミサイルサイト(知念)の2か所。それぞれ知念分屯基地の管理地区と運用地区になった。

航空自衛隊知念高射教育訓練場

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1973年1月31日、約2,000m2の引渡し。2月15日、航空自衛隊那覇基地隊において知念訓練隊を新編。約3か月間、アメリカ兵が自衛官にミサイルについての整備OJT(実務訓練)を実施後、5月14日、約310,000m2が引き渡され、新設の第18高射隊に管理が移管される[3]

1974年1月9日、沖縄返還協定了解覚書B表に基づき、残り部分がすべて自衛隊に引き継がれる。

1996年2月1日、第16高射隊が新編される。

高台に位置する運用地区と運用地区から約2.5km離れた管理地区から成る。現在はハーキュリーズではなくパトリオットが配備されている[4]

航空自衛隊知念分屯基地内にある佐敷ようどれ

佐敷ようどれ

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琉球王国を建てた尚巴志の父・尚思紹一族を奉った霊廟。1957年、アメリカ軍がこの地域を接収すると通告した。アメリカ軍基地内にあるまま、県は1958年に県の史跡として指定した。

現在は航空自衛隊知念分屯基地内にあり、南城市教育委員会が管理しており、分屯基地にゲートで申し込むことで見学できる[5]

脚注

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  1. ^ a b Agreement with Japan Concerning the Ryukyu Islands and the Daito Islands, Signed at Washington and Tokyo on June 17, 1971
  2. ^ 沖縄県「米軍基地環境カルテ - 知念第二サイト」(平成 29年3月)
  3. ^ 沖縄県「米軍基地環境カルテ 知念第二サイト」(平成29年3月)
  4. ^ 沖縄県「沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)」平成27年3月
  5. ^ 佐敷ようどれ|航空自衛隊について|防衛省 [JASDF 航空自衛隊]”. www.mod.go.jp. 2021年3月19日閲覧。