知久平城
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知久平城 (長野県) | |
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城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 知久氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、土橋 |
指定文化財 | 飯田市指定史跡 |
位置 | 北緯35度28分41.7秒 東経137度50分59.6秒 / 北緯35.478250度 東経137.849889度座標: 北緯35度28分41.7秒 東経137度50分59.6秒 / 北緯35.478250度 東経137.849889度 |
地図 |
知久平城(ちくだいらじょう)は、長野県飯田市下久堅知久平にあった日本の城。標高438メートルにある。飯田市指定史跡[1][2]。
概要
[編集]鎌倉時代に伊那伴野荘の地頭として伊那郡阿島(喬木村)に居館を構えた知久氏が天竜川右岸の河岸段丘上に築城したが、室町時代中期に要害を求め、新たに神之峰城を新築して拠点を移し、知久平城にはその庶流が残った。天正壬午の乱後に徳川氏家臣の菅沼定利が普請し、その縄張が反映されおり、現在の城跡はその時代のものである。
城の南北は知久沢川と塩沢川の渓谷によって阻まれ、また対岸の河岸段丘上には松尾城・鈴岡城を望む。城跡の麓には 知久十八ヶ寺と称する寺庵跡がある。
中心部は主郭とそれを取り囲む3つの郭から構成され、主郭は上段の北西端に位置し、廓の周囲には土塁が残っている。北西方には突き出した尾根があり、その尖端に小規模な郭がある。南方と東方にもそれぞれ廓が設けられており、これらの郭と主郭は土橋で連絡している。
脚注
[編集]- ^ 「文化財保護いいだ(知久平城跡)」安曇野市公式HP
- ^ 「知久平城」公益財団法人八十二文化財団公式HP