矢野才治郎
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矢野 才治郎(やの さいじろう、1858年(安政5年12月[1][2]) - 1899年(明治32年)5月21日[2])は、明治時代の政治家。教育者。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]美濃国大野郡唐栗村(岐阜県本巣郡唐栗村、本巣郡川崎村、巣南村、巣南町を経て現瑞穂市)に生まれる[1]。1873年(明治6年)旧大垣藩儒の野村藤陰の門に入り漢学を修め、1875年(明治8年)岐阜県師範研修学校(岐阜大学教育学部の前身)を経て[1]、小学校教員となる[2]。学務委員を経て、1882年(明治15年)12月、大野・池田郡書記となり、1884年(明治17年)2月、岐阜県会議員に当選[1]。のち県議を辞し、唐栗村外6箇村戸長などを経て再び県議となり同常置委員などを歴任した[3]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岐阜県第4区から出馬し当選[2]。大成会に属し衆議院議員を1期務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。