矢部藤七
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矢部 藤七(やべ とうしち、1885年(明治18年)7月21日[1] - 1959年(昭和34年)4月11日[2])は、大正から昭和時代の政治家。醸造家。大日本帝国陸軍軍人。衆議院議員。栃木県上都賀郡西方村長。
経歴
[編集]栃木県上都賀郡本城村(西方村、西方町を経て現栃木市)出身[1][3]。矢部儀一郎の二男として生まれ、1909年(明治42年)家督を相続する[4]。1903年(明治36年)栃木中学校卒業[2]。陸軍に入り歩兵少尉に進んだ[2][3]。
酒造業を営み、西方村長、栃木県会議員、同副議長、上都賀郡農会長、県農会長、西方村産業組合長、県信用購買販売利用組合連合会副会長を歴任した[2]。ほか、村会議員、郡会議員、帝国在郷軍人会分会長、消防組頭、大政翼賛会県支部常務委員なども務めた[3]。
1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では栃木県第1区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。在任中は翼賛政治会政調農林、内務兼務委員を務めた[3]。戦後、公職追放となった[5][注 1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。
出典
[編集]- ^ a b 衆議院事務局 1942, 12頁.
- ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 520頁.
- ^ a b c d 議会新聞社 1943, 431頁.
- ^ 人事興信所 1943, ヤ21頁.
- ^ 総理庁官房監査課 1949, 一般該当者名簿722頁.
参考文献
[編集]- 『第八十回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和十七年六月十五日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1942年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年 。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年 。
- 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。