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矢田部 喜信(やたべ よしのぶ、文政5年3月5日(1822年4月26日) - 明治31年(1898年)10月26日)は、幕末から明治時代の国学者、歌人。通称は武助[1]。変名に浅見平八郎簡明[1]。
周防国に生まれる[1][2]。幼少期より読書を好み古典や仏典に通じる[2]。鈴木高鞆らと交流し、尊王攘夷運動に関わる[1]。また、歌を能くし『明治五百人一首』などに歌がのる[1]。晩年は風病に罹患し17年の闘病の末、没した[2]。