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矢田一心斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やた いっしんさい

矢田 一心斎
生誕 1827年文政10年)
死没 1906年明治39年)6月20日
死因 病死
住居 阿波国麻植郡川島町学島
国籍 日本の旗 日本
別名 矢田鉄之助、矢田好男
平正直
職業 柔術家
流派 柴真揚流
活動拠点 徳島県
配偶者 上野
子供 矢田三吉(養子)
矢田大蔵
親戚 矢田秀蔵(弟)
矢田元(甥)
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矢田 一心斎(やた いっしんさい、1827年 - 1906年6月20日)は日本の柔術家

経歴

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文政10年(1827年)に生まれる。初名は鉄之輔(鉄之助)、後好男平正直とも称した。阿波国麻植郡川島町学島(現・徳島県吉野川市)の人。先祖は上桜城篠原弾正の家臣矢田一徹である。

幼少より柔術を好み児島粟飯原真吾天神真楊流柔術を学ぶ。

嘉永5年(1852年)に修行に出て安房国柳島信行に神楊心流を学ぶ。

後、浜松柴新流藤田銀八郎に学び工夫を加えて柴真揚流と称した。

蜂須賀氏に従い長州征伐に参加。廃藩置県後は徳島県等外三等出仕を命ぜられ、後学島村の村議を勤めた。

脚注

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参考文献

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