矢島作郎
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矢島 作郎(やじま さくろう、1839年(天保10年1月[1]) - 1911年(明治44年)11月7日[1])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]山口県出身[1]。和学と漢学を修め、英国に留学し経済学を学ぶ。大蔵省に入り、紙幣助となる[1]。東京貯蔵銀行、大阪三軒茶屋紡績会社、東京電燈(株)を設立、重役となり[1]、周陽銀行取締役頭取を務めた[1]。ほかに正則英語学校を創立した[1]。
1889年の東京市会議員選挙に麻布区から立候補して当選した[2]。1891年、衆議院山口4区の補欠選挙で当選した。衆議院議員を1期務め、1892年の第2回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1911年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。