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矢口家治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

矢口 家治(やぐち いえはる、明治24年(1891年1月14日 - 昭和48年(1973年4月22日)は、日本の裁判官弁護士関西大学第一高等学校の初代校長。第11代最高裁判所長官矢口洪一の父。

経歴

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矢口次郎太郎の三男[1]

大正6年(1917年)7月 京都帝国大学法科大学卒業[2]。同年8月司法官試補、京都地方裁判所[2]。大正9年(1920年)京都地裁判事に任官[1]

大正12年(1923年文部省在外研究員としてドイツイギリスフランスアメリカに二ヵ年留学[1]。大正14年(1925年高岡高等商業学校教授[1]

昭和10年(1935年弁護士名簿登録[2]長野地裁東京控訴院を歴任[1]

昭和16年(1941年関西大学専務理事に就任[1]。昭和22年(1947年)専務理事を退任して関西甲種商業学校長兼第一中学校長に就任、 昭和23年(1948年関西大学第一高等学校の初代校長になり第一中学校長を兼務、昭和32年(1957年)定年退職、名誉校長の称が贈られた[3]。その後京都で弁護士登録、 裁判所調停委員、阪南大学教授などを務めた[3]

人物像

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宗教曹洞宗[1]。住所は京都市北区紫竹下竹殿町[1]。京都市左京区在籍[1]

家族・親族

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矢口家

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京都府愛宕郡岩倉村[2](現京都市左京区[1])、京都市北区紫竹下竹殿町[1]
  • 父・次郎太郎[1]
  • 妻・[1]
明治29年(1896年)3月生[1] - 没
大正9年(1920年)2月生 - 平成18年(2006年)7月没
昭和12年(1937年)11月生[1] -

著書

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)や一〇
  2. ^ a b c d 『大日本司法大観』(編纂兼発行者 沖邑良彦 1940年 228頁)
  3. ^ a b 専務理事 関大一高初代校長