矢上城
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矢上城 (神奈川県) | |
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別名 | 中田加賀守館 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 中田氏? |
築城年 | 不明(16世紀?) |
主な城主 | 中田加賀守 |
廃城年 | 1590年(天正18年)頃? |
遺構 | 不明(石碑あり) |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯35度33分06.5秒 東経139度39分13.3秒 / 北緯35.551806度 東経139.653694度座標: 北緯35度33分06.5秒 東経139度39分13.3秒 / 北緯35.551806度 東経139.653694度 |
地図 |
矢上城(やがみじょう)、または中田加賀守館(なかたかがのかみやかた)は、神奈川県横浜市港北区日吉4丁目にあったとされる戦国時代の日本の城。
概要
[編集]東急東横線日吉駅のある高台(日吉台)が、「蝮谷[1]」と呼ばれる谷に切られて細く突き出た場所が曲輪跡と伝わり、現在は慶應義塾高校の野球場となっている。城主は中田氏と伝えられ、一族の「中田加賀守」は小机衆として後北条氏に仕え、矢上付近に3万石相当の土地のほか井田城を領有したが[2]、1590年(天正18年)の小田原城落城時に憤死し、麓の保福寺に葬られたという[3]。
野球場やテニスコートなどの慶應義塾大学の施設が建設されているため、城遺構の残り具合は不明だが、1954年(昭和29年)に中田氏の子孫が建てた「保福寺開基・中田加賀守累代墳墓之地供養塔」が残る[3]。