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真鍋 信喜(まなべ のぶき(「のぶよし」との記載もあり)、1907年11月3日[1] - 没年不詳)は、日本のジャーナリスト、新聞編集者。
真鍋盛太郎の二男として福岡市に生まれる。1925年福岡県立中学修猷館[2]を経て、1937年3月九州帝国大学法文学部を卒業(法学士)[3][1]。
卒業後、満洲国通信社に入社。戦後、1948年信濃毎日新聞に論説委員として入社し、1956年編集副主幹を経て、1962年取締役に選任され、1970年論説主幹に就任する。1976年退社[1]。
その後、長野県教育委員長などを務めた[1]。
- ^ a b c d 『人事興信録第31版』(人事興信所、1981年) マ-6頁
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員19頁
- ^ 『九州帝国大学一覧(昭和14年)』(九州帝国大学、1939年)503頁