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真藤 峨眉(しんどう がび、享保15年(1730年)- 文化8年3月(1811年))は、江戸時代中期-後期の儒学者、教育者。福岡藩藩儒。名は世範。字(あざな)は叔度[1]。峨眉はその号にして、のちに漁樵翁と称す[2]。
柴田氏に生まれ[2]、福岡藩士真藤常章の養子となる[1]。
福岡藩藩儒となり、のちに藩校修猷館の教授を務めた[1]。
文化8年3月に没し、妙圓寺(福岡市博多区住吉)に葬られた[2]。
- ^ a b c 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)988頁
- ^ a b c 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)30頁