真尾悦子
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真尾 悦子(ましお えつこ、1919年(大正8年)- 2013年(平成25年)は、日本の文筆家。
来歴
[編集]東京市に生まれる。1939年(昭和14年)に「作品倶楽部」に短編を投稿する。
1946年(昭和21年)に結婚し、1948年(昭和23年)に茨城県、さらに福島県平市(現・いわき市)に転居した。夫の真尾倍弘(まさひろ)は詩人で、悦子とともに雑誌『月刊いわき』を刊行した[1]。
1959年に刊行した『たった2人の工場から』は、1961年にNHK総合テレビの「テレビ指定席」においてドラマ化された。
1962年(昭和37年)、自宅の藁屋根が消防条例に違反として取り壊しを宣告され 東京に戻る。1976年(昭和51年)、小説「海鳴り」でいわき地域の総合雑誌「6号線」が設けた「三猿文庫賞」を受賞する。
1994年には、神奈川近代文学館に、井伏鱒二などの原稿、太宰治らの書簡を寄贈した[2]。
2000年(平成12年)、北海道札幌市に転居し、2013年に同地で死去した。
著書
[編集]- 『たった2人の工場から』未来社、1959年
- 『旧城跡三十二番地』未来社、1962年
- 『土と女―出稼ぎ未亡人とその周辺―』筑摩書房、1976年
- 『地底の青春―女あと山の記―』筑摩書房、1979年
- 『まぼろしの花』冬樹社、1980年(随筆集)
- 『いくさ世を生きてー沖縄戦の女たち』筑摩書房、1981年
- 『すずはもうならない』金の星社、1983年
- 1992年に『お母さんはアダン林で眠っている』として改題加筆
- 『海恋いー海難漁民と女たち―』筑摩書房、1984年
- 『沖縄祝い唄』筑摩書房、1985年
- 『オレンジいろのふね』金の星社、1985年
- 『光の丘療護園 千人の父』新潮社、1986年
- 『サイクル野郎2500キロー北海道ひとり旅―』筑摩書房、1988年
- 『きままの虫』影書房、1991年(随筆集)
- 『阿佐ヶ谷貧乏物語』筑摩書房、1994年
脚注
[編集]- ^ ふくしま文学のふる里100選 p.5 - 福島県教育委員会
- ^ 収蔵コレクション - 神奈川近代文学館(「171 から 180 まで」の箇所を参照)
参考文献
[編集]- 「真尾倍弘・悦子展 -たった二人の工場から- 図録」いわき市立草野心平記念文学館(2004年7月10日-9月12日に開催した企画展図録)