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真壁義幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

真壁 義幹(まかべ よしもと、天文21年5月18日1552年6月10日) - 寛永7年6月21日1630年7月30日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の佐竹氏家臣。真壁久幹の次男で氏幹の弟。子に真壁房幹重幹がいる。

父が佐竹義昭に臣従した際、義昭のもとで元服を行い、一字が与えられた[1]小田氏治との手這坂の戦いで活躍して、式部大輔の名乗りを許される。後に常陸国筑波郡に所領を与えられて兄から別家する。長男・房幹が兄の養子となっていたために、次男の重幹に家督を譲るが後に氏幹・房幹ともに死去したために重幹が真壁氏の当主となった。佐竹氏の移封先である出羽国角館にて没する。

脚注

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  1. ^ 茨城県史 1986, p. 323.

参考文献

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  • 茨城県史編集委員会 監修『茨城県史』茨城県〈中世編〉、1986年3月20日。NDLJP:9643628 (要登録)

外部リンク

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