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相見香雨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

相見 香雨(あいみ こうう、1874年12月1日[1] - 1970年6月28日[1])は、日本の美術研究家、新聞記者。本名は相見繁一[1]

経歴 

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1874年、島根県松江市魚町生まれ[1]松江中学校時代、小泉八雲に英語の教えを受けた最後の世代となる[2]。卒業後は東京専門学校(現早稲田大学)に進学[1]1901年に卒業後は郷里へ戻り、松江新報の編集にあたった[1][3]1907年大村西崖のもとで『東洋美術大観』の仕事を手助けしたことを契機に日本の古美術研究の世界へ入った[1]。1910年から1912年までロンドン、パリに滞在[1]。帰国後、審美書院の責任者となって『群芳清玩』などの刊行に従事した[1]。1926年日本美術協会に入り[1]、美術品の収録作業に従事した[1]。1952年文化財保護委員会美術工芸部門専門審議会委員に就任[1]

1970年老衰により東京都北区の自宅で死去。

受章歴 

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脚注 

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 相見香雨 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2022年4月30日閲覧。
  2. ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和45年(1970年)6月16日夕刊、3版、9面
  3. ^ 松江出身の美術史家・相見香雨 没後50年企画研究者が計画”. 山陰中央新報 (2020年11月18日). 2020年12月9日閲覧。

関連項目

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