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相田隆太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

相田 隆太郎(そうだ りゅうたろう、1899年明治32年) - 1987年昭和62年))は、日本評論家。本名は「茂隆」[1][2]

略歴

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山梨県北巨摩郡明野村(現・北杜市明野町)に生まれる[1]。生家は農業を営む[1]。後年の1963年(昭和38年)10月に『農民文学』第7号に発表した「加藤武雄を偲ぶ」によれば、隆太郎は15歳の時に加藤武雄『土を離れて』を読み感銘を受け、後年の評論活動に影響を与えたという[2]

隆太郎は菊池寛・加藤武雄らと交流があり、『新潮』『文芸』などの中央の文芸誌に評論を発表している[1][2]。加藤武雄らが「創作研究会」を開催すると、相田は石原文雄鑓田研一を誘いこれに参加する[2]

1922年大正11年)8月には『早稲田文学』に評論「現文壇の農民小説を論じて『吾が農民』を想ふ」を発表し、注目される[1][2]。この評論の影響を受けて、農民文学界には和田伝橋下英吉らの作家が続いた[1][2]

1926年(大正15年/昭和元年)には加藤武雄・吉江喬松らが農民文芸会を結成し、相田や石原文雄はこれに参加する[3]1927年(昭和2年)には機関誌『農民』が創刊され、相田は創刊号に「農民文学論」を、1928年(昭和3年)5月の『農民』第2巻第5号には「農民小説は如何に進展すべきか」を発表する[1][2]

戦後は1949年(昭和24年)4月に一連の評論をまとめた『農民文学の諸問題』(甲陽書房)を刊行する[1][2]

趣味

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アマチュア五段の囲碁棋士でもあり[4][注 1]、「現代囲碁全書」シリーズ[4]など複数の棋書を執筆している[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 文芸評論家の相田隆太郎とアマチュア囲碁棋士の相田隆太郎が同一人物だと明言する文献は見当たらないが、『囲碁春秋』誌に掲載された「新春文人碁会」というイベントの報告記事[5]では、参加者として尾崎一雄大岡昇平榊山潤江崎誠致近藤啓太郎木山捷平田岡典夫らに加えて相田隆太郎の名前がある。また文芸評論の相田隆太郎(相田茂隆)が公表していた住所[6]は、囲碁の相田隆太郎が公表していた住所[7]と一致する。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『特設展 山梨の農民文学』、p.4
  2. ^ a b c d e f g h 堀内(2008)、p.38
  3. ^ 堀内(2008)、p.36
  4. ^ a b 「自序」『現代囲碁全書 第4巻 (序盤戦から中盤戦へ)』大泉書店、1960年、2頁。NDLJP:2468052/5 
  5. ^ 本間哲朗「新春文人碁会あらいざらい ボヤキの尾崎、大いに笑う」『囲碁春秋』第17巻第2号、囲碁春秋社、1963年2月、62頁、NDLJP:2202221/33 
  6. ^ 「相田 茂隆 文芸評論 筆名 相田隆太郎」『著作権者名簿 昭和35年度版』著作権資料研究協会、1960年、1頁。NDLJP:3430434/5 
  7. ^ 「相田隆太郎(そうだりゆうたろう) 囲碁」『出版年鑑 1959年版』出版ニュース、1959年、1890頁。NDLJP:3043923/966 
  8. ^ 相田隆太郎”. Webcat Plus. 2023年10月1日閲覧。

参考文献

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