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相川義武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
相川義武
時代 安土桃山時代-江戸時代前期
生誕 生年不詳
死没 慶長18年7月1日1613年8月16日
別名 勘解由左衛門[1]
氏族 相川氏
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相川 義武(あいかわ よしたけ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武士。

経歴・人物

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もと甲州武士として武田氏に仕え、のち肥前大村氏旗下となり、文禄元年(1592年文禄の役に出陣する[1]。改宗しキリシタンとなり、肥前彼杵郡形上(現:長崎県長崎市琴海形上町)に住む[1]。子は同郡平原郷(現:長崎県西海市西彼町平原郷)に移住[1]。集落に住む全員がキリシタンとなり相川姓を名乗ったという[1]

西海市西彼町平原郷には長崎県指定史跡として「西彼町のキリシタン墓碑(2基)」がある[2][3]

脚注

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  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『相川義武』 - コトバンク
  2. ^ 県指定史跡 西彼町のキリシタン墓碑(2基)”. 西海市. 2022年7月19日閲覧。
  3. ^ 「INRI」と刻まれた墓碑”. 長崎県. 2022年7月19日閲覧。