コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

直玉主売

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

直 玉主売(あたい の たまぬしめ、生没年不詳)は、奈良時代の女性。

出自

[編集]

「直」とは本来の名前であったが、氏の名前として用いられるようになったものである。紀伊国名草郡和歌山県和歌山市海南市)・壱岐島対馬に分布し、紀伊国造伊岐国造対馬国造と関連をもち、神祇関係にかかわることが多かった。『続日本紀』巻第三十四によると、宝亀8年(777年)3月に直乙麻呂ら28人・直諸弟ら23人・直秋人ら108人にそれぞれ「紀神直」・「紀名草直」・「紀忌垣直」が賜与されたことが見える[1]、壱岐の直氏には、『日本三代実録貞観9年(867年)1月7日の直千世麻呂の名が見え、同年8月21日には宿禰を賜姓されている。

経歴・人物

[編集]

壱岐島壱岐郡の人物[2][3]。15歳の時に夫と死別するが、その後生涯再婚せず、30年余に渡り亡夫の墓を守った[2][3]。このことが朝廷より評され、宝亀3年(772年)に爵二級を叙され、さらに田租を終身免除された[2][3]

戸令24「聴婚嫁条」によると、当時の女性の結婚許可年齢は13歳であり、この年で結婚したとすれば玉主売は3年未満の結婚生活を過ごしたことになる。また彼女の生き方は賦役令17「孝子順孫条」の「節婦」に相当し、節婦の同籍は悉く課役を免除することになっているが、本条では田租免除のほかに爵二級を賜与されており、同条の「精誠の通感する者(これらの美徳が神に通じて奇跡を生じた者)があれば、別に優賞をも加えること」が適用されたものと思われる。

脚注

[編集]
  1. ^ 『続日本紀』光仁天皇、宝亀8年3月10日条
  2. ^ a b c 小島玄寿 編 『日本列女伝 巻の2』「直玉主売」山中八郎、1878年
  3. ^ a b c 続日本紀』宝亀三年十二月六日条

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]