直原守次郎
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直原 守次郎(ちょくはら もりじろう、1863年(文久3年9月[1][2]) - 1921年(大正10年)7月25日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]美作国久米南条郡(のち岡山県久米郡吉岡村→柵原町、現・美咲町)生まれ[1]。閑谷学校で学び、農業を営む[2]。
1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において岡山7区から無所属で立候補したが落選した[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1902年の第7回衆議院議員総選挙では岡山県郡部から立憲政友会公認で立候補したが落選した[5]。1921年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。