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目黒孝平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目黒孝平
めぐろ こうへい
生年月日 1877年3月2日
出生地 日本の旗 日本 新潟県魚沼郡
(現・新潟県魚沼市
没年月日 (1919-10-10) 1919年10月10日(42歳没)
出身校 同志社
前職 地主
所属政党立憲国民党→)
立憲同志会→)
憲政会
親族 父・目黒徳松(衆議院議員)

選挙区 新潟県郡部選挙区
当選回数 2回
在任期間 1912年 - 1917年1月25日

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目黒 孝平(めぐろ こうへい、1877年明治10年)3月2日[1] - 1919年大正8年)10月10日[2])は、明治から大正期の地主実業家政治家衆議院議員新潟県北魚沼郡須原村長。号・皆水[3]

経歴

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新潟県[2]魚沼郡、のちの北魚沼郡須原村[4][5][6]守門村須原[3]を経て現魚沼市須原)で、大地主・目黒徳松の長男として生まれる[1]。1899年(明治32年)12月、家督を相続した[1]慶應義塾を経て、同志社に進み政治経済を学んだ[1][2][3][4][5][6]

帰郷して須原村長に2回選出された[1][2][4][6]。公共事業などに私財を投じて信望があった[1][3][4][5]日本赤十字社特別社員、東洋調帯取締役、戦友共済生命保険(のち東邦生命保険)取締役なども務めた[2][4]

1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙に新潟県郡部で立憲国民党から出馬して初当選[1][3][4][7]。1915年(大正4年)3月の第12回総選挙では立憲同志会から出馬して再選され[3][7][4]、のち憲政会に所属して衆議院議員に連続2期在任した[2][6]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『大正人名辞典』1757頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』643頁。
  3. ^ a b c d e f g 『越佐人物誌 中巻』964頁。
  4. ^ a b c d e f g 『現代日本の政治家』同志会315-316頁。
  5. ^ a b c 『新潟県人物誌』616頁。
  6. ^ a b c d 『衆議院議員略歴』450頁。
  7. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』48頁。

参考文献

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  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 三神正僚『新潟県人物誌』越後会、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 牧野利平編『越佐人物誌 中巻』野島出版、1972年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

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