目頬子
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目頬子(めずらこ、生没年不詳)は古墳時代(6世紀中期)の豪族。氏・姓は不明。
記録
[編集]『日本書紀』によると、継体天皇24年(530年)、朝廷から派遣された調吉士により、任那復興のために遠征中の近江毛野の失政が報告された。そこで、目頬子がかわりに朝鮮半島に派遣され[1]、毛野は同年中に召喚されている[2]。『書紀』は目頬子の正体が何者であるのか、不明としている[1]。
任地に赴任した際に、当地の倭人たちは以下のような旋頭歌を詠んだという。
韓国(からくに)を 如何に言(ふ)ことそ 目頬子(めづらこ)来(きた)る むかさくる 壱岐の渡(わたり)を 目頬子来る (韓国にどんなことを言おうとして目頬子がやって来たのだろう 遠く離れている壱岐の海路を、わざわざ目頬子がやって来た)[2]