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盧喆龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
盧喆龍
各種表記
ハングル 노철룡
노철용
漢字 盧喆龍
盧哲用
発音: ノ・チョルリョン
ノ・チョリョン
日本語読み: ろ・てつりゅう
ろ・てつよう
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盧 喆龍(ノ・チョルリョン、1914年5月29日 - 没年不詳)は、朝鮮半島独立運動家朝鮮民主主義人民共和国軍人。仮名崔成章(최성장)。

経歴

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1914年5月29日、忠清南道洪城郡出身[1][2]。実兄には同じく独立運動家である盧乙龍がいる[1][2]。1932年10月、母親とともに中国へ亡命し朝鮮革命幹部学校に入学[1][2]。1933年4月、同校を第1期生として卒業した[2]。その後朝鮮民族革命党に入党し南京区党員となる[2]。1937年12月、中央陸軍軍官学校星子分校へ入学し、1938年5月に卒業後、10月には朝鮮義勇隊へ入隊して第1区隊第2陣地宣伝隊員となった[2]。1939年前半、湖南省北部の幕阜山脈で抗日宣伝活動に従事[2]。1939年8月1日の香港華字日報で盧喆龍(崔成章)ら隊員の活動が報じられた[3]。その後、華中で新四軍第4師敵軍工作課長を務めた[2]

1946年2月、新四軍所属の朝鮮人100名余りを引率して通化へ移動[2][4]朝鮮義勇軍李紅光支隊、独立第4師、第166師参謀長として国共内戦に参戦した後[4]、部隊の入北に伴い朝鮮人民軍第6師団参謀長となり朝鮮戦争に参戦[4]。1950年10月、第6師団の後退戦の最中に発令を受け、第2軍団参謀長へ転出[4]。戦後、第1集団軍参謀長、副司令官を歴任[4]。1958年頃、クーデター容疑で逮捕され、消息不明となる[4]

脚注

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  1. ^ a b c 韓国近現代人物資料.
  2. ^ a b c d e f g h i 강만길 & 성대경 1996.
  3. ^ “活躍在火線上的朝鮮義勇隊 中國抗戰勝利之日就是朝鮮革命成功” (中国語). 香港華字日報. (1939年8月1日) 
  4. ^ a b c d e f 김중생 2000, p. 176.

参考資料

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  • 노철룡」『한국근현대인물자료』국사편찬위원회http://db.history.go.kr/id/im_102_100452020年8月14日閲覧 
  • 강만길; 성대경 編「노철룡」『한국사회주의운동인명사전』창작과비평사、1996年、165頁。ISBN 8936470302 
  • 김중생『조선의용군의 밀입북과 6.25전쟁』명지출판사、2000年。ISBN 8931107447