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盛岡市立土淵中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
盛岡市立土淵中学校
地図北緯39度42分49秒 東経141度05分26秒 / 北緯39.7136度 東経141.09068度 / 39.7136; 141.09068座標: 北緯39度42分49秒 東経141度05分26秒 / 北緯39.7136度 東経141.09068度 / 39.7136; 141.09068
国公私立の別 公立学校
設置者 盛岡市
校訓 「自主・連帯・創造」
設立年月日 1947年4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C103220100094 ウィキデータを編集
所在地 020-0144
岩手県盛岡市土淵字幅2-3
外部リンク 盛岡市立土淵中学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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盛岡市立土淵中学校(もりおかしりつつちぶちちゅうがっこう)は、岩手県盛岡市土淵にある公立中学校である。また、2016年(平成28年)より、隣接する盛岡市立土淵小学校と「盛岡西峰学園」として小中一貫教育を行っている。地元では「土中(つちちゅう)」と呼ばれている。

沿革

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  • 1947年(昭和22年)4月 - 盛岡市土淵中学校として創立(当時は盛岡市土淵小学校と併設され、土淵小学校長兼任)
  • 1974年(昭和49年)4月 - 盛岡市立土淵中学校として独立
  • 1977年(昭和52年)9月 - 校歌制定
  • 1982年(昭和57年)9月 - 新校舎落成式典を開催
  • 1982年(昭和57年)10月-校訓版「自主・連帯・創造」を3階ベランダに設置
  • 1989年(昭和64年)6月-市中総体バレーボール女子優勝
  • 1989年(昭和64年)7月-県中総体バレーボール女子3位
  • 1990年(平成2年)8月-県PTA広報優秀賞
  • 1993年(平成5年)6月-「土中宣言」採択
  • 1994年(平成6年)9月-ボランティア活動として老人ホーム「けやき荘」訪問交流開始
  • 1997年(平成9年)11月 - 創立50周年記念式典を開催
  • 1999年(平成11年)5月-県少年野球大会盛岡地区予選優勝
  • 1999年(平成11年)11月-県小中学校新聞コンクール学校賞「優秀賞」
  • 2001年(平成13年)3月-全国小中学校新聞コンクール学校賞「奨励賞」
  • 2001年(平成13年)3月 - ユネスコ協会より「ユネスコ・世界寺子屋運動への協力」の感謝状を授与、新「土中宣言」採択
  • 2003年(平成15年)1月-第1回「土淵の子供を考える会」(地区リーダー・PTA顧問懇談会)開催
  • 2003年(平成15年)8月-県PTA連合会団体表彰 中学校PTA
  • 2003年(平成15年)11月-盛岡市社会科学研究発表大会
  • 2003年(平成15年)12月 - 盛岡市社会福祉協議会推進事業指定校に指定(2年間)
  • 2004年(平成16年)4月 - 交通安全推進モデル校に指定
  • 2005年(平成17年)2月-盛岡市第1回児童生徒表彰 学校活動表彰
  • 2006年(平成18年)4月-交通安全マナーアップ表彰
  • 2007年(平成19年)4月 - テニスコートを整備
  • 2014年(平成26年)現体育館完成
  • 2015年(平成27年)第70期生徒会スローガン『 Colorful ~今、創るとき~ 』
  • 2016年(平成28年)旧体育館跡地に中央棟校舎が完成
  • 2016年(平成28年)4月-施設一体型小中一貫教育校として「盛岡西峰学園」開園
  • 2016年(平成28年)7月-開園記念式典を開催
  • 2016年(平成28年)8月-「盛岡西峰学園」を3階ベランダに設置
  • 2020年(令和2年)1月-「みらいとしょかん」交流開始

学区

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  • 土淵
  • 平賀新田
  • 上厨川
  • 長橋町
  • 前潟1丁目〜4丁目
  • 谷地上

校歌

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一、奥羽の山脈 空青く 気高き雄姿 岩手山 仰ぐ心を 一条に 真理の道に 生命を燃やす あゝ若き日の 力の限り 学びの庭に 励みすすまん

二、雫石川 清らかに 連なる沃野 我が郷土 はげむ三年の 夢わかく 学びの業も 日々に新し あゝ若き日の よろこびこめて 良き友和して   ともに語らん

三、吾らが祖先の 拓き来し かおる文化を うけつぎて 創造る明日の 行くてには 希望のひかり 胸に溢るる あゝ 輝やける 土淵中学校 高らに謳え われらが母校

応援歌

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第一応援歌

一、若い我らのエネルギーで 栄誉と誇りを燃えたてん きたえてきずきし伝統と 熱血みなぎる我が選手

二、道はけわしく続くとも 無限のファイトはわきあふれ 凱歌は轟き空こがす あゝ炎と燃える 我が選手

第二応援歌

一、青空高くひるがえる 土淵中校旗には あゝ 我が校 自慢のこの腕 あふれる力を みなぎらす いざ戦わん 我らのために

二、我ら土淵生徒には 長年の伝統と あゝ 我ら 誇りに思い 戦う心に誓いし出発す いざ戦わん 母校のために

第三応援歌

一、おおしき岩手の山を背に 我らが土淵今ここに 日頃のいきを示さんと 熱血燃える若人よ いざ戦わん 我らが選手

二、夢と希望にふるいたち きたえきたえしたまと技 無敵の威力あふれちる 勝利の栄誉我が胸に いざ戦わん土中選手

第四応援歌

輝く伝統 母校のために 栄位をにないて いまひらく 花の精鋭 土中健児 ファインプレー土中 ファインプレー土中 立て 打て 勝て 勝利ほほえむ 花の土中

行事

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体育祭                     例年、五月上旬に開祭され、紅組と白組に分かれて競技が行われる。また、1組が白組、2組が紅組であることが通例である。以前は1日中行われていたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止の為規模が縮小して以来、現在でも午前のみの開祭となっている。また、各組団のスローガンに基づいて毎年、団旗の製作が行われる。

競技種目

・応援合戦(演舞)

・hop-step-jump

・綱引き

・びっくりサンダーマウンテン

・全員リレー

・組団演技

スローガン                 2021年 (令和三年)度            紅組 星火燎原 白組 雲蒸龍変         2022年 (令和四年)度            紅組 光輝燦然 白組 雲中白鶴        2023年 (令和五年)度            紅組 深紅狂炎 白組 雪華香乱       2024年 (令和六年)度            紅組 晴叶猛炎 白組 飛龍乗雲

文化祭                   例年、10月上旬に開祭され、主に合唱が中心である。学級合唱、学年合唱、全校合唱が行われ、全校合唱では文化祭の終盤に差し掛かると、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4つのパートに分かれて大地讃頌が歌われている。また、合唱文化が生まれた背景として、以前は全学年4学級という小規模校であったことが挙げられる。文化祭終了後には、生徒会活動の継承のため「光輝集会」行われる。

部活動

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  • 野球部
  • 男子卓球部
  • 女子卓球部
  • ソフトテニス部
  • 陸上競技部
  • 音楽部
  • 男子バスケットボール部
  • 女子バスケットボール部

委員会

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  • 生活委員会
  • 学習委員会
  • 保健委員会
  • 図書委員会
  • 放送委員会
  • エコボランティア委員会
  • 応援委員会

歴代校長

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  • 以下、平成8年時点

小中併設時代

  • 第13代 佐藤 匡(昭和22年4月~昭和24年6月)
  • 第14代 高橋 平吉(昭和24年6月~昭和25年5月)
  • 第15代 高橋 那彌(昭和25年6月~昭和28年3月)
  • 第16代 高橋 伊兵衛(昭和28年4月~昭和32年3月)
  • 第17代 瀬川 幸一(昭和32年4月~昭和35年6月)
  • 第18代 小森 宗昌(昭和35年6月~昭和40年3月)
  • 第19代 苫米 地利三(昭和40年4月~昭和42年12月)
  • 第20代 荒浜 栄悦(昭和43年3月~昭和44年3月)
  • 第21代 鈴木 信一(昭和44年4月~昭和48年3月)
  • 第22代 小田 秀雄(昭和48年4月~昭和49年3月)

独立後

  • 初代 北村 政明(昭和49年4月~昭和53年3月)
  • 第2代 小笠原 實(昭和53年4月~昭和53年8月)
  • 第3代 武蔵 巍(昭和53年10月~昭和58年3月)
  • 第4代 武田 安道(昭和58年4月~昭和61年3月)
  • 第5代 沼宮内 辰平(昭和61年4月~平成元年3月)
  • 第6代 佐々木 満(元年4月~平成4年3月)
  • 第7代 及川 怜(平成4年4月~平成6年3月)
  • 第8代 中島 貞夫(平成6年4月~平成8年3月)
  • 第9代 島田 洋二(平成8年3月~)

土中宣言

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 以下のことが平成5年10月24日の文化祭で採択された。

深刻化しつつある環境問題に、全校生徒で取り組むため、

  • 一、リサイクル活動には全員で参加します。
  • 二、言うより先に実行します。
  • 三、日常生活の改善に努めます。
  • 四、地球環境に関心をもち続けます。

生徒数

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  • 昭和22年度 132人
  • 昭和23年度 134人
  • 昭和24年度 157人
  • 昭和25年度 144人
  • 昭和26年度 143人
  • 昭和27年度 149人
  • 昭和28年度 153人
  • 昭和29年度 150人
  • 昭和30年度 142人
  • 昭和31年度 142人
  • 昭和32年度 145人
  • 昭和33年度 132人
  • 昭和34年度 138人
  • 昭和35年度 137人
  • 昭和36年度 171人
  • 昭和37年度 181人
  • 昭和38年度 185人
  • 昭和39年度 160人
  • 昭和40年度 153人
  • 昭和41年度 148人
  • 昭和42年度 142人
  • 昭和43年度 141人
  • 昭和44年度 126人
  • 昭和45年度 127人
  • 昭和46年度 105人
  • 昭和47年度 96人
  • 昭和48年度 99人
  • 昭和49年度 94人
  • 昭和50年度 89人
  • 昭和51年度 75人
  • 昭和52年度 97人
  • 昭和53年度 100人
  • 昭和54年度 113人
  • 昭和55年度 94人
  • 昭和56年度 109人
  • 昭和57年度 105人
  • 昭和58年度 112人
  • 昭和59年度 114人
  • 昭和60年度 117人
  • 昭和61年度 122人
  • 昭和62年度 116人
  • 昭和63年度 144人
  • 平成元年度 94人
  • 平成2年度 91人
  • 平成3年度 89人
  • 平成4年度 93人
  • 平成5年度 83人
  • 平成6年度 80人
  • 平成7年度 79人
  • 平成8年度 82人
  • 平成24年度 117人
  • 平成25年度 122人
  • 平成26年度 140人
  • 平成27年度 157人
  • 平成28年度 166人
  • 平成29年度 179人
  • 平成30年度 162人
  • 平成31年度 182人
  • 令和元年度 174人
  • 令和2年度 188人
  • 令和3年度 183人
  • 令和4年度 185人
  • 令和5年度 190人
  • 令和6年度 186人

関連項目

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