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百足城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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百足城
岐阜県
別名 垣内山城
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 姉小路古川氏?、三木氏?
廃城年 不明
遺構 曲輪石垣
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯36度13分50.5秒 東経137度10分47.3秒 / 北緯36.230694度 東経137.179806度 / 36.230694; 137.179806座標: 北緯36度13分50.5秒 東経137度10分47.3秒 / 北緯36.230694度 東経137.179806度 / 36.230694; 137.179806
地図
百足城の位置(岐阜県内)
百足城
百足城
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百足城(むかでじょう)は、岐阜県飛騨市古川町高野にあった日本の城平山城)。姉小路家一門の城と考えられている。別名垣内山城[1]

概要・歴史

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姉小路高綱の隠居城といわれる[要出典]享保年間(1716年-1736年)の飛騨国代官長谷川忠崇が編纂した『飛州志』に記載があり、古くから城跡として認識されてはいたが、同書には「百足城。同村(古川郷高野村)ニアリ、來由未詳。」としか書かれていない[2]。このため城主や築城年代は確定していないが、姉小路家古川氏の城とされる古川城の1キロメートル以内に位置するため、古川城の支城とも考えられている[3]

城郭

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土塁虎口櫓台が残る[要出典]。城地図にて櫓台は北櫓台と南櫓台がある[要出典]

2017年(平成29年)度の飛騨市教育委員会による試掘調査では石垣が検出されている。石垣の構築法が金森氏による織豊時代の石垣と異なることから、姉小路氏による築城か、後の三木氏による改修があった可能性が推定されている[3]

脚注

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  1. ^ 文化財保護センター 2007 p.4
  2. ^ 飛州志』巻6 p.182
  3. ^ a b 飛騨市教育委員会 2019 p.110

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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