百済王鏡仁
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百済王 鏡仁(くだらのこにきし きょうにん、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。刑部卿・百済王教徳の子。官位は従五位上・河内守。
経歴
[編集]桓武朝の延暦9年(790年)従五位下・豊後介に叙任される。延暦18年(799年)治部少輔次いで右少弁に任ぜられると、延暦24年(805年)右中弁と桓武朝後期は弁官を務め、この間従五位上に昇叙されている。桓武朝末の延暦25年(806年)河内守として再び地方官に転じた。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 延暦9年(790年) 2月27日:従五位下。3月10日:豊後介
- 延暦18年(799年) 2月20日:治部少輔。6月16日:右少弁
- 時期不詳:従五位上
- 延暦24年(805年) 正月16日:右中弁
- 延暦25年(806年) 正月28日:河内守
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『続日本紀』延暦3年2月条