百済王利善
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延暦3年5月24日(784年6月16日) |
官位 | 従四位下・散位頭 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 百済王氏 |
百済王 利善(くだらのこにきし りぜん)は、奈良時代の貴族。官位は従四位下・散位頭。
経歴
[編集]称徳朝の天平神護元年(765年)従五位下に叙爵し、翌天平神護2年(766年)飛騨守に任ぜられる。
光仁朝でも宝亀2年(771年)讃岐員外介と地方官を務めたのち、宝亀7年(776年)従五位上、宝亀10年(779年)正五位下、天応元年(781年)正五位上、延暦2年(783年)従四位下と、光仁朝末から桓武朝初頭にかけて順調に昇進した。
延暦3年(784年)5月24日卒去。最終官位は散位頭従四位下。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平神護元年(765年) 閏10月6日:従五位下
- 天平神護2年(766年) 3月26日:飛騨守
- 宝亀2年(771年) 7月23日:讃岐員外介
- 宝亀7年(776年) 正月7日:従五位上
- 宝亀10年(779年) 正月23日:正五位下
- 天応元年(781年) 4月15日:正五位上。5月25日:散位頭
- 延暦2年(783年) 10月16日:従四位下
- 延暦3年(784年) 5月24日:卒去(散位頭従四位下)