百済王元忠
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 宝亀4年閏11月23日(774年1月9日) |
官位 | 従四位下、大蔵少輔 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 百済王氏 |
子 | 元風 |
百済王 元忠(くだらのこにきし がんちゅう)は、奈良時代の貴族。官位は従四位下・大蔵少輔。
経歴
[編集]聖武朝末の天平20年(748年)従五位下に叙爵する。孝謙朝では治部少輔を務める一方、天平勝宝3年(751年)従五位上、天平勝宝9歳(757年)正五位下と昇進。淳仁朝では大蔵少輔を務め、天平宝字8年(764年)従四位下に至る。
光仁朝の宝亀4年(773年)閏11月23日卒去。最終官位は散位従四位下。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平20年(748年) 2月19日:従五位下
- 天平勝宝2年(750年) 3月3日:見治部少輔[1]
- 天平勝宝3年(751年) 正月25日:従五位上
- 天平勝宝9歳(757年) 5月20日:正五位下
- 天平宝字5年(761年)頃:見大蔵少輔[2]
- 天平宝字8年(764年) 正月7日:従四位下
- 宝亀4年(773年) 閏11月23日:卒去(散位従四位下)
系譜
[編集]- 父:不詳
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:百済王元風[3]