アマラ忍
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基本情報 | |
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本名 | ツグト・アマラバヤサガラン |
通称 | モンゴリアンハリケーン |
階級 | ミドル級(K-1) |
身長 | 171cm |
体重 | 68.2kg |
国籍 | モンゴル |
誕生日 | 1979年11月20日(45歳) |
出身地 | ダルハン・オール県ダルハン市 |
スタイル |
キックボクシング 空手 |
アマラ忍(あまら しのぶ、男性、1979年11月20日 - )は、モンゴルのキックボクサー。本名はツグト・アマラバヤサガラン(Цогтын Амарбаясгалан)。ダルハン・オール県ダルハン市出身。チーム忍所属。城西国際大学卒。元WPMF世界スーパーライト級王者。
リングネームをたびたび変更している。千葉忍→花戸忍→白鳥忍→アマラ忍と変更し、K-1では、"SHINOBU"ツグト・アマラ、ツグト"忍"アマラと表記されている。
来歴
[編集]- 1994年頃、極真空手の先生が来た際、友人が皆入門したので入門。
- 1997年、極真空手の国内大会のクラス別で優勝。
- 1998年、モンゴル空手で優勝。
- 2001年4月、来日。
- 2001年5月4日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催北沢大会で千葉忍というリングネームでプロデビュー。東金ジム所属。1R1分30秒でKO勝ち。
- リングネームを花戸忍に改名。
- 2002年3月30日、KING COMBAT 2002 60kgトーナメントに出場し優勝。
- 2002年4月28日、後楽園大会でファイティング前沢にKO勝ちを果たし、デビューから1年を待たずにマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟スーパーフェザー級王者になる。その後、所属していた東金ジムから高橋道場に移籍。同時に全日本キックボクシング連盟に入団。
- 2002年6月16日、全日本キックのデビュー戦(兼全日本ライト級ランキング戦)で砂田将祈と戦う。
- その後も連勝を続けるが、2003年5月23日のライト級最強決定トーナメントの決勝で、バッティングによるTKO負けを喫した。さらに、同年9月27日のゴーンピポップとの対戦で額陥没骨折し、長期欠場を余儀なくされる。
- リングネームを白鳥忍に改名。
- 2004年4月13日、山本真弘と復帰戦を行い、判定勝ち。
- 2004年6月18日のライト級最強決定トーナメントで優勝。
- 2005年1月4日、サトルヴァシコバと対戦し、判定勝ち。全日本キックライト級王者となった。
- 2006年1月9日、喜入衆と対戦し、TKO勝ち。12連勝を飾る。
- 2006年1月14日、リングネームをアマラ忍に改名した。
- 2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント開幕戦に「"SHINOBU" ツグト・アマラ」というリングネームで出場し、アンディ・サワーと対戦。判定で敗れはしたが、王者相手に一歩も引くこともなく戦った。
- 2007年2月5日、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントでブアカーオ・ポー.プラムックと対戦し、判定負け。
- 2007年4月4日、K-1 WORLD MAX 世界最終選抜でジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、判定勝ち。これがK-1初勝利となった。
- 2007年6月28日、K-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメント開幕戦で小比類巻貴之と対戦し、判定負け。
- 2007年9月19日、母国モンゴルで格闘技イベント「IMPERIAL 〜帝国〜」を主催した。
- 2008年2月29日、J-NETWORK「Let's Kick with J 1st」で小宮由紀博と対戦し、判定負け。
- 2008年5月23日、母国モンゴルで格闘技イベント「IMPERIAL」第2回興行を主催し、
- 2009年1月4日、母国モンゴルで格闘技イベント「IMPERIAL」第2回興行を主催し、自身はカンパに サンタにと対戦し、判定勝ち。WPMF世界スーパーライト級王者となった。
戦績
[編集]キックボクシング 戦績 | ||||||
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43 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
33 勝 | 11 | 0 | 0 | |||
10 敗 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | トンラート | 判定 | World Kings Of Muay-Thai Contend for Hegemony - LETS FIGHT II | 2009年12月3日 |
○ | 菅原勇介 | 3R終了 判定2-0 | R.I.S.E. 53 | 2009年3月29日 |
× | アタチャイ・フェアテックス | 5R終了 判定0-3 | ムエローク Japan 2009 〜最大最強のムエタイ祭り〜 | 2009年1月18日 |
○ | カンパム・サントーイーズー | 判定3-0 | IMPERIAL 〜帝国〜 【WPMF世界スーパーライト級タイトルマッチ】 |
2008年12月9日 |
○ | 石毛慎也 | 4R終了時 TKO(ドクターストップ:カット) | M-1 FAIRTEX SINGHA BEER ムエタイチャレンジ 「Legend of elbows 2008 〜MIND〜」 |
2008年6月8日 |
× | 小宮由紀博 | 3R終了 判定0-2 | J-NETWORK「Let's Kick with J 1st」 | 2008年2月29日 |
× | 小比類巻貴之 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 | 2007年6月28日 |
○ | ジャダンバ・ナラントンガラグ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜 | 2007年4月4日 |
× | ブアカーオ・ポー.プラムック | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜 | 2007年2月5日 |
× | アタポン・フェアテックス | 5R終了 判定 | スッグペッティンディー(ルンピニー・スタジアム) | 2006年12月22日 |
× | ジョーダン・タイ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2006 〜世界王者対抗戦〜 | 2006年9月4日 |
× | 菊池浩一 | 5R終了 判定0-2 | SHOOT BOXING 2006 NEO ΟΡΘΡΟΖ Series 4th | 2006年7月7日 |
× | アンディ・サワー | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 | 2006年4月5日 |
○ | 喜入衆 | 5R 1:19 TKO(ドクターストップ、鼻柱カット) | J-NETWORK「GO! GO! J-NET '06 〜Light my fire!〜」 | 2006年1月9日 |
○ | キム・ヨンサン | 3R 1:19 KO(パンチ連打) | 全日本キックボクシング連盟 「Rock'n Roll☆U5 FIGHT☆Hill it!」 |
2005年11月5日 |
○ | ホン・ヒョーシク | 3R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「DETERMINATION≪決心≫7 KICK GUTS 2005」 |
2005年8月14日 |
○ | 西山誠人 | 5R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「DETERMINATION≪決心≫5 〜戦場の虎〜」 |
2005年6月24日 |
○ | 湟川満正 | 再延長R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「NEVER GIVE UP」 | 2005年4月17日 |
○ | サトルヴァシコバ | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「SURVIVOR」 【全日本ライト級王座決定戦】 |
2005年1月4日 |
○ | 凱斗亮羽 | 3R 1:55 KO(3ノックダウン:膝蹴り) | 全日本キックボクシング連盟「The Championship」 | 2004年11月19日 |
○ | マリオス・カラリス | 3R 0:13 KO(右ハイキック) | 全日本キックボクシング連盟「DANGER ZONE」 | 2004年9月23日 |
○ | サムゴー・ギャットモンテープ | 再延長R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟 「〜全日本ライト級最強決定トーナメント2004/FINAL STAGE〜」 【決勝】 |
2004年6月18日 |
○ | 吉本光志 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟 「〜全日本ライト級最強決定トーナメント2004/FINAL STAGE〜」 【準決勝】 |
2004年6月18日 |
○ | 南雲裕一 | 3R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「東金ジム26th anniversary SUPREME-3 〜戦場の虎〜」 |
2004年5月9日 |
○ | 山本真弘 | 3R終了 判定2-0 | 全日本キックボクシング連盟 「全日本ライト級最強決定トーナメント2004/2nd STAGE」 【2回戦】 |
2004年4月16日 |
× | ゴーンピポップ・ペッティンディー | 5R終了 判定0-3 | 全日本キックボクシング連盟「KNOCK DOWN」 | 2003年9月27日 |
× | 大月晴明 | 2R 0:37 TKO(ドクターストップ、左瞼カット) | 全日本キックボクシング連盟 「全日本ライト級最強決定トーナメント 〜決勝戦〜」 【決勝】 |
2003年5月23日 |
○ | 小林聡 | 3R終了 判定2-0 | 全日本キックボクシング連盟 「全日本ライト級最強決定トーナメント 〜決勝戦〜」 【準決勝】 |
2003年5月23日 |
○ | 山本優弥 | 延長R終了 判定2-0 | 全日本キックボクシング連盟 「全日本ライト級最強決定トーナメント」 【1回戦】 |
2003年3月8日 |
○ | 大宮司進 | 2R 2:34 KO(3ノックダウン:左ハイキック) | 全日本キックボクシング連盟「BACK FROM HELL-II」 | 2002年12月8日 |
○ | 蔵満誠 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「GOLDEN TRIGGER」 | 2002年9月6日 |
○ | 砂田将祈 | 5R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟「Who's Next 02」 | 2002年6月16日 |
○ | ファイティング前沢 | 5R 2:07 KO(ボディフック) | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「最強を求めて!「出陣・決戦」」 【MA日本スーパーフェザー級タイトルマッチ】 |
2002年4月28日 |
○ | ラビット関 | 3R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「KING COMBAT-2002 - KICK BOXING 60kg TOURNAMENT 日本最強決定戦」 【決勝】 |
2002年3月30日 |
○ | 梅下湧暉 | 3R 0:38 KO(ミドルキック連打) | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「KING COMBAT-2002 - KICK BOXING 60kg TOURNAMENT 日本最強決定戦」 【準決勝】 |
2002年3月30日 |
○ | 大宮司進 | 3R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「KING COMBAT-2002 - KICK BOXING 60kg TOURNAMENT 日本最強決定戦」 【1回戦】 |
2002年3月30日 |
○ | カズ工藤 | 5R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟(士道館) 「新春正月興行」 |
2002年1月18日 |
○ | 天野哲成 | 5R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「ADVANCE-1」 |
2001年11月3日 |
○ | きんぞ〜 | 4R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「ODYSSEY-4」 |
2001年9月29日 |
○ | 室崎剛将 | 4R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「キック ガッツ 2001」 |
2001年7月13日 |
○ | 北野裕治 | 2R 1:58 KO | ドリームプロデュース 真昼の決闘 | 2001年6月24日 |
○ | 高久雅裕 | 1R 1:17 KO | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「最強を求めて!世界制覇」 |
2001年5月20日 |
○ | 池谷二郎 | 1R 1:30 KO | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 | 2001年5月4日 |
この節の加筆が望まれています。 |
獲得タイトル
[編集]- KING COMBAT 2002 60kgトーナメント 優勝
- 第4代MA日本スーパーフェザー級王座(2002年)
- 全日本ライト級最強決定トーナメント 準優勝(2003年)
- 全日本ライト級最強決定トーナメント 優勝(2004年)
- 第15代全日本ライト級王座(2005年)
- WPMF世界スーパーライト級王座(2008年)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 蒙古襲来! Shinobuツグト・アマラのホームページ - ウェイバックマシン(2018年11月5日アーカイブ分)[リンク切れ]
- アマラ忍のブログ - ウェイバックマシン(2006年2月6日アーカイブ分)[リンク切れ]
- K-1 選手データ[リンク切れ]
前王者 ファイティング前沢 |
第4代MA日本スーパーフェザー級王者 2002年4月28日 - 不明(返上) |
空位 次タイトル獲得者 山田健博 |
空位 前タイトル保持者 大月晴明 |
第15代全日本ライト級王者 2005年1月4日 - 2005年10月 |
空位 次タイトル獲得者 サトルヴァシコバ |