コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

白井正助 (6代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

6代目白井 正助(しらい しょうすけ、明治24年(1891年2月1日 - 没年不詳)は、日本実業家

経歴

[編集]

東京都出身[1]

六代目正助を襲名する[1]千葉医大中退[1]

大正3年(1914年)「瓢箪屋薬房」を相続[1]。昭和2年(1927年)株式会社に改組、社長となり昭和15年(1940年エスエス製薬株式会社に社名変更[1]

昭和33年(1958年)2月、金融操作の誤りから経営不振に陥り、これにより社長の白井が退陣し、土手守吉が社長に就任[2]。江戸創業以来つづいた白井一族の手を離れることになり、11月には泰道照山社長に就任した[2]

人物像

[編集]

趣味は書画骨董[1]宗教真宗[1]

家族・親族

[編集]

白井家

[編集]
東京都世田谷区東玉川町[1]
エスエス製薬の前身は、明和2年(1765年美濃国(現在の岐阜県)より出府した白井正助 (初代)が興した漢薬本舗「美濃屋薬房」である[3]。初代正助の跡を継いだ二代目正助、三代目正助、四代目正助は、1700年代終わり頃から1800年代前半にかけて、一層家業の隆盛に力を尽くした[3]
  • 妻・ミネ[1]
明治28年(1895年)1月生[1] - 没

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)し八九
  2. ^ a b 昭和20年代戦後の復興と事業拡大
  3. ^ a b 江戸創業期漢薬本舗「美濃屋薬房」創業