白井正助 (6代目)
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6代目白井 正助(しらい しょうすけ、明治24年(1891年)2月1日 - 没年不詳)は、日本の実業家。
経歴
[編集]大正3年(1914年)「瓢箪屋薬房」を相続[1]。昭和2年(1927年)株式会社に改組、社長となり昭和15年(1940年)エスエス製薬株式会社に社名変更[1]。
昭和33年(1958年)2月、金融操作の誤りから経営不振に陥り、これにより社長の白井が退陣し、土手守吉が社長に就任[2]。江戸創業以来つづいた白井一族の手を離れることになり、11月には泰道照山が社長に就任した[2]。
人物像
[編集]家族・親族
[編集]白井家
[編集]- (東京都世田谷区東玉川町[1])
- エスエス製薬の前身は、明和2年(1765年)美濃国(現在の岐阜県)より出府した白井正助 (初代)が興した漢薬本舗「美濃屋薬房」である[3]。初代正助の跡を継いだ二代目正助、三代目正助、四代目正助は、1700年代終わり頃から1800年代前半にかけて、一層家業の隆盛に力を尽くした[3]。
- 妻・ミネ[1]