番山古墳
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番山古墳 | |
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墳丘全景 | |
所在地 | 大阪府高槻市上土室5丁目 |
位置 | 北緯34度51分3.30秒 東経135度34分51.83秒 / 北緯34.8509167度 東経135.5810639度座標: 北緯34度51分3.30秒 東経135度34分51.83秒 / 北緯34.8509167度 東経135.5810639度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 | 後円部:直径56m・高さ7m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 5世紀代 |
史跡 | なし |
地図 |
番山古墳(ばんやまこふん)は、大阪府高槻市上土室にある古墳。形状は帆立貝形古墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]大阪府北部の段丘上に築造された古墳である[1]。これまでに墳丘の調査は実施されていないが、墳丘周囲で数次の発掘調査が実施されている。
墳形は前方部が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を南西方に向けるが、前方部は失われており現在は円墳状を呈する。後円部(主丘部)は直径56メートル・高さ7メートルを測る[1][2]。墳丘表面では円筒埴輪列のほか、形象埴輪(家形埴輪)が検出されている[1]。また墳丘周囲には周濠が巡らされる。埋葬施設は明らかでない。築造時期は古墳時代中期の5世紀頃(5世紀中葉-後半[1]/5世紀後半[2]/5世紀末[3])と推定される。
なお墳丘の築造企画は、東方の前塚古墳(高槻市岡本町)と同一であることが知られる[3][1]。また埴輪は新池埴輪製作遺跡(高槻市上土室)の生産品と推定される[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(高槻市教育委員会、1989年設置・2017年更新)
- 「番山古墳」『日本歴史地名大系 28 大阪府の地名』平凡社、1986年。ISBN 458249028X。
- 高島徹「番山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「番山古墳」『昭和49年度 高槻市文化財年報』高槻市教育委員会、1975年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 「番山古墳」『嶋上郡衙跡他関連遺跡発掘調査概要6(高槻市文化財調査概要VI)』高槻市教育委員会、1982年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 「番山古墳」『昭和56・57・58年度 高槻市文化財年報』高槻市教育委員会、1985年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。