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略綬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカ海軍(右。マイケル・マレン大将)とナイジェリア軍(左、オウワイ・アンドリュー・アザジ参謀総長)の将官。両者とも左胸に略綬を着けているが、並べ方が異なっている。略綬の形状や装着法も国(国によっては個人)によって異なる。

略綬(りゃくじゅ)は、勲章記章の受章者がそれらを佩用しないときに受章歴を示すために着用する綬(リボン)である。日本政令で定められている“略綬”は円形で、欧米ではロゼットと呼ばれるものに相当する。しかし、日常多く見られるのは軍人等が制服に着けている長方形のものであり、一般的にも“略綬”と呼ばれているものはこのタイプを指すことが多い。これは、欧米では“ribbon bar”“breast ribbon”“service ribbons”(英)、Service ruban(仏)、“Bandschnalle”(独)等と呼ばれているものであり、日本では内閣告示によって個人での作成と制服への着用が可とされているものである。

同様の目的で使用されるものとしては略章があり、略章には実物の縮小模型(ミニチュアメダル)やピンバッジ、布製のワッペン等がある。

概説

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ドイツ連邦共和国功労勲章功労メダルとスティックピン型略綬。

受章した勲章・記章の全てを日常佩用することは実用的ではなく、破損や紛失の危険も伴う。しかし、一方では受章者には自己の受賞歴を誇示したいという要求もあった。そこで、式典等礼服を着用する場合以外は、略綬を日常的に着用して正式の勲章・記章の佩用を省略するようになり、特に各国の軍隊で普及した。このようにした事で、常装でも何の勲章・記章を受章しているのかが確認でき、その着用している軍人の功績や経歴を窺い知る事ができるようになった。

略綬には、平服(背広など)の襟に付けるスティックピンや円型略綬 (Rosette)、軍服等に並べて着ける長方形略綬(英:Ribbon bar、仏:Service ruban、独:Bandschnalle)等がある。

略綬は基本的に本来の勲章・記章の綬(勲章・記章を吊るすリボンや留め金)と同じ柄色の布製で、長方形略綬には勲章の等級や他のメダルとの識別、或は受章回数等を表すための彩花[1]や金属製の小さな付属物が付いているものもある。長方形略綬は幅もオリジナルの綬と同じと規定されるのが一般的であるが、ドイツのように狭いものを使用する国もある。そして、同じ幅と規定されている国でも、大綬のようにその幅が着用に不向きなものには例外規定が設けられている。また、ソ連の赤星勲章や北朝鮮の国旗勲章のように正章に綬の無い勲章・記章もあるが、このようなものにも対応した略綬が制定されていることは珍しくない。東ドイツ軍の様に綬の柄を印刷した紙片をプラスチックケースに封入する形式の略綬を採用している国や、北朝鮮軍の様にプラスチック板の裏側から綬の柄を塗装した形式の略綬を採用している国もある。そして、アメリカ軍のユニットアワード (Unit Award) やユニットサイテーション (Unit Citation) (これを受けるのは個人ではなく部隊)、自衛隊防衛記念章のようにメダルが無く、章自体が長方形略綬の様式になっているものもある。

長方形略綬の幅
アメリカ軍の記章セット NATOの記章セット ドイツ連邦軍の従軍記章(右)とNATOの記章 アメリカ海軍(右)とドイツ海軍(左)の将官
アメリカとNATOの記章は何れも綬幅が35ミリで、同じ幅の長方形略綬が付属する。ドイツの記章の綬はそれらより狭いが、略綬はそれより更に狭い25ミリ幅である。そして、NATOの記章についても、ドイツ軍では略綬を25ミリ幅にしている。また、アメリカ海軍将官が着けているリボンラックの最下段中央にクウェート政府発行のクウェート解放メダルが見られるが、この記章の綬は本来40ミリ幅であり、リボンラック用に他の記章とサイズを合わせたものを使用しているのが分かる。
アメリカ海軍(右)とフランス海軍(左)の将官。両者とも左胸に略綬を着けているが、装着法が異なる。

略綬は授与される勲章・記章に付属しているものもあるが、それを着用しなければならないと規定されている例は殆どなく、制服に着用するものの場合でも、様式や装着位置に関しては規定されていることはあるが、規定されている事項は国や組織によってまちまちであり、衣服への取り付け方法まで規定されることも英連邦王国の国々以外ではあまり見られない。そのため、個人で自己の受賞歴や好みに合った様式や装着法のものに改造したり、その様に作られたものを購入して着用することも広く行われている。例えば、第二次世界大戦終了までのドイツ軍では、授与される殆どの勲章・記章に略綬が付属しておらず、制式も定められていなかったため、各自が個人で様々な形式のものを作成していた。

装着法

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陸軍出身と推測されるヨーマン・ウォーダー。略綬の縫い付け方が分かる。その上には連装した勲章の金具を取り付けるための糸掛かりが見える。

円型略綬の衣服への装着法には、ラペルのボタンホールに差し込むようになっているものや、ピンズタイプのものがある。

長方形略綬は一般的に制服上着の左胸ポケットの上、或はそれに相当する位置(小綬章やメダルの装着位置)に取り付ける。複数着用する場合は、規定された序列に従って、向かって左側(自分から見た場合右側)から順に並べて着用する。ソ連軍イギリス軍等のように、常勤服にリボンを直接縫い付けることもあるが、着替えや洗濯の都合から、着脱できるようにしていることの方が多い。イギリス空軍の服装規定では常温地域用の服には略綬を縫い付け、暑い地域用の服にはブローチ式の略綬を付けるとされている。

オリジナルの略綬にピンズやブローチ安全ピン)が付いているものもあるが、個人でその様に改造したり購入する場合もある。

アメリカ4軍の司令官たち。ユニットアワード等は陸軍のみが右胸に着けており、海・空・海兵隊は左胸の最下段に着けている。リボンラックのタイプは個人によって違うのが分かる。

しかし、複数の略綬を並べる場合着装が面倒であると共に見栄えも悪くなる。そのため、リボンを連結した板状や棒状のリボンラック (Ribbon rack) をあらかじめ作っておくことが広く行われている。アメリカ等では着用規定に合った連結金具と連結用のリボンを自分で購入して装着することも一般的だが、フランス軍のように布製の台座に縫い付けたものも見られる。そして、これらの作業を業者に依頼することも広く行われている。

リボンラックの衣服への取り付けにも様々な方法がある。連結金具の裏に付いた複数のピンを服地に刺して留め金(蝶バネ。バタフライ・キャッチ)で止める方式は、第二次世界大戦中のアメリカ軍で使われるようになったもので、自衛隊等でも見られる。

ブローチで直接衣服に留める方式は単体や少数の場合には見られるが、多数を繋げたものにはあまり使われない。リボンラック用のピンが太いブローチは衣服へ直に刺さず、あらかじめ作っておいた糸掛かりに通して取り付ける。この糸掛かりは連結された勲章・記章の金具や連装用の吊金具と共通して使えるので、TPOによって略綬と勲章を付け替えることもできる。

旧日本軍の遺品にもその様にしているものが多く見られる。しかし、日本の勲4等又は功4級以下の勲章及び記章にオリジナルで付いている取り付け金具はブローチ式ではないので、勲章を単独で取り付けるためには別の形状の糸掛かりが必要になる。そのため、個人によっては従軍記章や記念章の着用を略す場合等のために、勲章用と略綬用の糸掛かりを別個に作っている例も見られる。

旧日本軍の勲章と略綬板
旧日本軍の略綬板 同裏面 裏面のピンを上げたところ
左から旭日章、明治三十七八年従軍記章、日本赤十字社有功章(上)。瑞宝章、明治三十七八年従軍記章、大正乃大礼記念章(下)。上の略綬板は旧軍では新しいタイプで、小さな金属板に個別の略綬を巻いたものを長い金属板に嵌め込むようになっている。但し、簡単に着脱することはできない。衣服への取り付け金具がピンではなく板状になっているものは日本以外の国ではあまり見られない。下のタイプの方がやや古いタイプで、細長い金属板に直接巻き付けたもので、縫い目が見えている。ドイツ軍でも第一次大戦以降裏面がこれらと同様の構造をしたものも見られたが、裏にフェルトを貼ったものも多く見られた。アメリカ軍でも上記のリボンラックが導入される前は下のものと同様のタイプが使われていた。
勲章吊金具裏面 勲章・記章を装着した勲章吊金具の裏面
(勲六等瑞宝章と昭和六年乃至九年事変従軍記章)
勲六等瑞宝章の裏面
勲章類を外した軍服
秩父宮雍仁親王 古荘幹郎 鳥飼恒男 甘粕正彦
秩父宮と古荘の軍服の左胸には、勲章の吊金具や略綬版を取り付けるための糸掛かりが見える。また、古荘の右肋には勲2等用の糸掛かりも見える。鳥飼は5個の略綬を2個と3個の2段に分けて着けているが、その右側に糸掛かりが1つ見えている。これは4個を1列にしていたときのものだが、勲章・記章を着ける際には使用できる。甘粕の左胸にある糸掛かりは、日本の勲章類を金具等を用いずに直接着用するためのもの。
第一次世界大戦中のオーストリア
オーストリア軍将校 オーストリアの勲章の綬
オーストリアの勲章類は日本と同様に綬を折って掛ける形式なので、日本軍の勲章専用糸掛かりと同様のものが付けられる(右写真)。左のオーストリア将校は甘粕正彦と同様の糸掛かりを付けている。中の将校の軍服には、メインの糸掛かりの下に勲章と綬の連結部分を固定するための小さなループ状の糸も付けられている。この糸の端は服の裏側に出ており、糸を繰り出して勲章を通した後、裏から糸を引いて締めることができる。これも旧日本軍の一部に見られる。一方、当時のオーストリア軍の略綬の取り付け方は日本軍と異なり、略綬の裏にクリップを付け、或いは巻いたリボンの端をフラップ状にしてスナップボタンで留めるようにし、それらを勲章用の糸掛かりに掛けていた(右の将校)。因みに、現在のオーストリア軍では上記フランス軍のようなリボンラックを使用している[1]
勲章類を外したドイツの軍服
ドイツ空軍将校(ヨーゼフ・カムフーバー ドイツ陸軍将校(ヴィルヘルム・フォン・レープ ヴィルヘルム・カイテル(1940年) ヴィルヘルム・カイテル(1942年)
戦前のドイツでは、勲章・記章を左胸に並べて着用するためには各自でマウンティング(勲章・記章を連結して取り付け用金具に装着すること)をしなければならなかったので[2]、日本軍のように勲章用に別の糸掛かりを作るケースは見られない。ドイツの空軍と陸軍将校は何れも秩父宮のものと同様の糸掛かりを着けている。1942年のカイテルは略綬を2段にしており、上段の略綬板の向かって左側に糸掛かりが見える。2段にする前の1940年には略綬板はそこまでの長さがあったのだが、勲章を付けるために糸掛かりを残していると思われる。
英連邦王国の勲章と略綬
常装のブレイ英陸軍大将 ヨーマン・ウォーダー 温暖地用常装のマッコール英陸軍大将 野戦服のラムスデン英陸軍中将
イギリスや英連邦王国に属する国では、制服の上着に略装時のための略綬が縫い付けられており、勲章・記章を着用する場合はその上に取り付ける。また、イギリスの勲章・記章には取り付け金具が付いておらず、着用するためには各自でマウンティングをしなければならない。そのため、略綬の上にブローチのピンを通す糸掛かりが作られる。左三人の略綬の上には勲章用の糸掛かりが見える。ヨーマン・ウォーダーは永年勤続章のリボンの色から海兵隊出身と推測できる。マッコールは温暖地用のNo.4 dress(自衛隊の第1種夏服に相当)に略綬を縫い付けているが、空軍ではこれに相当するNo.6 dressへ取り付ける略綬は取り外しができるブローチ式のものと規定されている。ラムスデンは野戦服に取り外しできる略綬を付けている。
正装のカーター陸軍中将 イギリス空軍の将校
両側は准将で中央は大尉
正装のヒューストン豪空軍大将 アメリカ海軍作戦部長とオーストラリア軍高官
前列左から二人目がヒューストン大将
正装のカーター中将は略綬の上に勲章を付けているが、ロイアル・ヴィクトリア勲章ナイトコマンダー章を受章しており、同章とその副章は左肋と首に佩用するため、左胸に付けている勲章類より略綬の方がその分幅が広く、下の略綬がはみ出てしまっている。3人の空軍将校のうち、両側の准将が略綬の上に勲章を付けているが、女性准将もカーターと同様に大英帝国勲章コマンダー章を首に佩用するため、その略綬がそのまま見えている。男性准将は従軍記章と記念章をそれらの略綬の上に付けており、従軍記章の略綬の端が見える。ヒューストンも左肋に佩用する勲章を2個、首に佩用する勲章を3個受章しているが、左胸に付ける勲章類を5個持っているため、10個の略綬を3段に分けて取り付けた略綬(集合写真参照)は勲章類の下からはみ出していない。勲章の装着に関しては、イギリス軍の服装規定には位置等しか記されていないが、オーストラリア陸軍の規定には「なるべく略綬を隠すように」との一文がある。

着用

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迷彩服に略綬を着用したパキスタン軍の将官。一方アメリカ軍等では所属軍章・名札・階級章・技能章以外着用しない。(マレン大将の例を参照)

一般的に勲章は正装時に着用し、略綬は略礼装や平服時に着用してもよいと規定されている。一方、軍隊では常装等の服に着用する勲章類を略綬から正規の勲章・記章に付け替えることによって、正装や通常礼装とすることが広く行われている。この場合、軍や時代によって異なるが、その他に儀礼刀や白手袋等の着用が規定される。

一般のホワイトタイ(燕尾服)にはフルサイズの大綬章と星章を着用するが、小綬章や褒章・記章はミニチュアメダルを着用することがあり、ブラックタイ(タキシード)の場合は原則としてミニチュアメダルのみを付けるのが慣例である。そして、略綬は略章と併用できないため、これら夜会服に着用することは一般的ではない。軍服としては、夜会服用にメスジャケット(元はブラックタイ相当の服だが国によってはホワイトタイ相当の服装も制定されている)があるが、その着用時も略綬を着用しないのが一般的である。

日本では、略綬は勲章、記章、褒章又はそれらの略章と併用できない旨規定されているが(明治二十二年二月十二日賞勲局告示第二号「略章略綬佩用心得」第六号及び平成15年内閣府告示第9号「略綬略章着用規程」第3条第1項)、円形略綬は併用でなければ燕尾服等にも着用できる。自衛隊の制服では第2種礼装がブラックタイ相当の服装であり、三自衛隊共にメスジャケットを採用しているが、ホワイトタイの服装は制定されていない。規定では、第2種礼装時にも防衛記念章を着用できることになっているが(防衛庁訓令第43号第6条)、自衛官も着用しないのが通例となっている[3]

一方、アメリカ軍ではミニチュアメダルと略綬の併用が禁止されており[4]、章自体が略綬形式のユニットアワード等はメスジャケット着用時には着用しない。但し、フルサイズの勲章や記章とユニットアワード等の併用は禁止されておらず、その場合は勲章・記章を左胸に、略綬形式の章は右胸に着用すると規定されている。

マイケル・マレン大将に見るアメリカ海軍に於ける略綬着用のTPO
常装夏服 常装冬服 正装夏服 正装冬服
常装では全ての勲章・記章の略綬を左胸に着用する。章自体が略綬形式のユニットアワード等は勲章や従軍記章の下に付けられている。そして、正装では勲章や従軍記章の正章を左胸に付け、ユニットアワード等は右胸に付ける。一方、陸軍では常装でもユニットアワード等を右胸に付ける (アメリカ陸軍の将官(1) (2) 参照)。
ディナードレス・ブルージャケット (参考)空軍の将官、士官、下士官のメスユニフォーム (参考)アーミーブルー・メスユニフォームの陸軍将官 (参考)ブラックタイの陸軍下士官
フォーマルドレス(ホワイトタイ相当)やディナードレス(ブラックタイ相当)の夜会服にはミニチュアメダルを着用する。略綬はミニチュアメダルと併用できないため、ユニットアワード等は着用していない。
陸軍や空軍でもメスユニフォーム(海軍のディナードレスに相当)の場合は海軍と同様ミニチュアメダルを着用するため[5]、ユニットアワード等は着用できない。
しかし、陸軍のアーミーブルー・ユニフォームやアーミーグリーン・サービスユニフォーム或いは空軍のサービスドレスユニフォームに黒い蝶ネクタイを着用してブラックタイとする場合は、それらを含む略綬を着用できる[6]。そのため、写真の陸軍下士官達はアーミーブルー・ユニフォーム又はアーミーグリーン・サービスユニフォームにブラックタイを着用し、略綬も着用している。それに対して海軍には詰襟やセーラー服のサービスジャケットがあり、これらにはネクタイを着けられないため、ミニチュアメダルによってブラックタイの服装であることが表される。そのため、ネクタイを着用できるサービスジャケットを含めて一律に、サービスジャケットをブラックタイとして使用する場合はミニチュアメダル着用と規定されている[7]。従って、アメリカ海軍では夜会服に略綬を着用できる場合はない。
サービス・カーキ サービス・カーキ (参考)サービス・カーキの大将(左)とワーキング・カーキの少将(右) 迷彩服
サービス・カーキでは略して一部のみを着ける場合もある。ワーキング・カーキはサービス・カーキと似た服装だが、略綬は着用しない。迷彩服にも着用しない。一方、パキスタン軍の将官(上の写真) は迷彩服にも着用している。

日本

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円形略綬を付けた伊藤博文

日本では、「大勲位菊花大綬章大勲位菊花章図式及大勲章以下略綬の件」(明治10年12月25日太政官達第97号)により、既に制定されていた菊花章旭日章に略綬が制定された。そして、その後増設された勲章については、制定の際に略綬も制定されるようになり、瑞宝章は明治21年1月26日閣令第21号「各種勲章及大勲位菊花章剄飾ノ図様」金鵄勲章は明治23年2月11日勅令第11号「金鵄勲章ノ制式佩用式」文化勲章については昭和12年2月11日勅令第九号「文化勲章令」によって、それぞれの勲章のデザインと同時に制定された。宝冠章については、図様は明治21年1月26日閣令第21号によって瑞宝章と同時に定められたが、略綬は大正8年5月22日閣令第4号(「各種勲章及大勲位菊花章剄飾ノ図様」第二次改正)により追加された。

これら法令によって制定された略綬は、大勲位乃至勲6等勲章のものは円形略綬。当初、勲7等と8等は蝶型でボタンホールへの差し込み式となっていたが、大正10年4月25日勅令第146号(旭日章)、同第149号(金鵄勲章)及び4月26日閣令第4号(宝冠章及び瑞宝章)により上位勲章と同形式となった。その後、昭和11年5月18日勅令第六十五号(旭日章)、同66号(金鵄勲章)及び5月19日閣令第1号(宝冠章及び瑞宝章)によるデザインの変更があった。

これらの図様に関する規定は平成14年8月12日政令第277号及び平成15年5月1日内閣府令第54号「各種勲章及び大勲位菊花章頸飾の制式及び形状を定める内閣府令」により廃止あるいは削除され(金鵄勲章は昭和22年政令第4号「内閣官制の廃止等に関する政令」により既に廃止)、同内閣府令に一本化されたが、外見上のデザインは瑞宝章の色以外変わっていない。ただし、衣服に取り付けるための裏面金具は、男性用がボタンホールへの差し込み式で女性用がブローチだったが、全てピンズ式となった。

褒章については、「褒章条例」(明治14年12月7日太政官布告第63号)の大正10年4月26日勅令第147号及び148号(黄綬褒章)による改正で蝶型スティックピン式のものが制定されていたが、平成15年の制度改正の際、勲章と同様の円形のものに改められた(褒章の制式及び形状を定める内閣府令(平成十五年五月一日内閣府令第五十五号))。

着用については、「略章略綬佩用心得」(明治22年2月12日賞勲局告示第2号)によって規定されていたが、「略綬略章着用規程」(平成15年内閣府告示第9号)が新たに定められ、略章略綬佩用心得は廃止された(略綬略章着用規程附則第2条)。

複数の勲章又は褒章を受章した者は、これらの略綬を併合したものを作成し、佩用することができる(略章略綬佩用心得第3号及び略綬略章着用規程第1条第2項3項)。ただし、「略章略綬佩用心得」では勲章と褒章の略綬を併合することはできないと規定されていた(同第3号但し書き)。「略綬略章着用規程」では禁止する文言は無くなったが、併合できるのは「別種の複数の勲章(外国の勲章を含む)」(同第2項)又は「別種の複数の褒章」(同第3項)とされており、可とする規定もない。

以上のように、日本では円型略綬が正式の略綬とされており、正章とセットで授与される。これは軍人自衛官に対する叙勲でも変わりなく、軍人専用である金鵄勲章でも本章と共に授与されるのは円形略綬であった。そして、制服用の長方形略綬は受章後自費で作成することになっている。

功七級金鵄勲章の略綬
軍人専用の勲章だが、添付される略綬は円形のフラワーホール用だけである。
授与されたセット 表面 裏面

制服用略綬

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帝国陸軍大将田中静壱中将時代の写真。左胸に並んでいる略綬は旭日章、瑞宝章、金鵄勲章、王冠第三等勲章(タイ国)、大正大礼記念章、大正三年乃至九年戦役従軍記章、昭和大礼記念章、昭和六年乃至九年事変従軍記章、支那事変従軍記章、紀元二千六百年祝典記念章、大満州国建国功労章、満州帝国皇帝訪日記念章で4列3段の12連。
井上成美海軍大将。

制服用略綬は、「勲章記章又ハ褒章ヲ有スル者制服著用ノ節略綬佩用ニ関スル件」(大正七年九月十七日内閣告示第四号)によって「勲章記章又ハ褒章ヲ有スル者ハ大礼服ヲ除クノ他制服又ハ国民服礼装著用ノ節各自左ノ制式ノ略綬ヲ製シ之ヲ左肋二佩用スルコトヲ得略綬二種以上ニ及フトキハ本章佩用ノ順序ニ従ヒ連結佩用スルモノトス」(昭和15年内閣告示第14号改正条文)と規定された。

この告示により、制服に個人で作成した長方形略綬を着用できるようになった。また、政令によって略綬が制定されている勲章及び褒章だけでなく、従軍記章及び記念章等の記章、他国の勲章・記章、あるいは日本赤十字社有功章等についても長方形の略綬を作成し、着用できる。ただし、金鵄勲章等戦後廃止されたものは、現在では公式には着用できない。

制式は

  • 綬色: 本綬に同じ。
  • 綬幅: 本綬に同じ。但し、無綬又は大綬の勲章の場合は功三級勲三等の綬幅に同じ。
  • 綬長: 曲尺三分

とされていたが、昭和22年総理庁告示第2号改正により、「功三級」の部分が削除された。

複数個を着用する際の序列は「勲章等着用規程」(昭和39年4月28日総理府告示第16号)[8]第11条の順序に従うとされており、以下の通りである。

  1. 自国の勲章(勲章が複数の場合は後から受章したものが上位[9][10]
  2. 他国の勲章
  3. 褒章(複数の場合は受章順)
  4. 記章(複数の場合は受章順)
  5. 外国の記章(褒章に相当するものを含む)
  1. ^ a b 大日本帝国憲法発布記念章の略綬は旭日桐花章のものと同じ。
  2. ^ 女性専用の勲章だが、戦前の場合従軍看護婦による着用が有り得る。逆に、新制度下では一般への叙勲がないので、今後着用されることはないと思われる。
  3. ^ a b パターンは同じだが、寸法の単位が異なる。
  4. ^ a b 綬は同じ。
略綬を着けた香田洋二海将(2006年)。上位2つはアメリカのレジオン・オブ・メリット及び海軍コメンデーションメダルの略綬で、それ以外は全て防衛記念章。自衛官が授与される機会の多い、アメリカの勲章等や国連メダルの綬幅は35ミリで、防衛記念章よりやや短い。

保安隊警察予備隊、及び発足当時の自衛隊には旧軍出身者が多数在籍しており、その中には戦前・戦中に受章した勲章・記章やその略綬を着用する者もいた。しかし、戦後の叙勲制度では現職自衛官が叙勲されることはなく、従軍記章や記念章も発行されることがなくなった。そのため、旧軍の経験のない者や旧軍時代に受章歴のない者はその軍歴を誇る勲章やその略綬を胸に飾ることができなかった。これは他国の軍人と交流する際に体裁が悪いと考えられた。そのため、昭和20〜30年代には、海外へ留学や出張する者が旧軍時代の勲章・記章及びその略綬をジャンク屋や古道具屋で購入して着用するという行為が横行しており、中には廃止されて佩用できない筈の金鵄勲章を購入して着用した者もいたと江村儀朗(元九州補給処長陸将補)は証言している[11]。また、吉池重朝一等陸佐(後に体育学校長・陸将補)はアメリカ出張に際してアメヤ横丁で略綬を購入したが、その中にアメリカ軍のものが混じっており、出発前に古参陸曹に注意されて事なきを得たという逸話もある[12]

制服用略綬については、「制服用の略綬に関する規程」(平成15年内閣府告示第10号)[13]が新たに制定され、「勲章記章又ハ褒章ヲ有スル者制服著用ノ節略綬佩用ニ関スル件」は廃止された(同附則第2条)。新しい規程では、無綬又は大綬の勲章の綬幅は36ミリとされ、長さは単位が変更されて9ミリとなった。現在でも、現職自衛官への叙勲や職務に関する褒賞の授与はないが、排除する規定もないので、例えば、多額の寄付による紺綬褒章や勤務外での行動による紅綬褒章等の授与は有り得る。これら勲章等(勲章、褒賞及び記章(「勲章等着用規程」(昭和39年4月28日総理府告示第16号)第1条))及び同略綬の着用については、「勲章等着用規程」及び「制服用の略綬に関する規程」が直接適用されるほか、「勲章等及び略綬の着用について(通知)」(昭和57年10月29日海幕総第4460号)[14]等の実施要領が定められている。また、PKOに参加して国連メダルを授与される自衛官は増加しており、外国から勲章や記章を授与される自衛官も少なくない。そのため、自衛官服装規則(防衛庁訓令第4号)第4条が平成19年以降に改正され、外国の勲章等を授与された自衛官はこれらを着用できる旨が明記された。そして、これを受けた実施要領も通達されている(「外国勲章等の着用について(通達)」(平成22年9月10日陸幕人計第592号)[15]等)。これらの通知や通達においては、略綬の着用要領については「防衛記念章の制式等に関する訓令」(昭和56年防衛庁訓令第43号)[16]第6条を準用するとされている。

防衛記念章

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防衛記念章を着けた火箱芳文・陸上幕僚長。

防衛記念章は「防衛記念章の制式等に関する訓令」(昭和56年防衛庁訓令第43号)[16]によって制定された、章自体が長方形略綬の様式になった記章である。同訓令第2条各号に該当する自衛官が、同第4条で定められた資格に応じた種類の防衛記念章を着用することができるとされている。第1号〜第15号および第17号・18号防衛記念章の着用資格者は、メダル(功労章)と綬が制定されている防衛功労章・部隊功績貢献章の受章者なのでその略綬と言える。防衛記念章の幅は、昭和六年乃至九年事変従軍記章以降の記章や現行勲章等の中綬章及び小綬章の綬幅と同じ36ミリである。

その他組織の栄章

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消防団においても、消防団員表彰歴を表す栄章として略綬式の表彰歴章を定めている事もある。その他海上保安庁海上保安官が着用する海上保安庁表彰記念章も類似の例として挙げられる。

脚注

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  1. ^ 英・仏等ではこれも Rosette と呼ばれている。その名の通り、その勲章の円形略綬と同形式のものもある。
  2. ^ 二級鉄十字章等は、授与される際に付属している綬がボタンホールに装着するタイプなので、胸に着けるためには個人で改造しなければならなかった。また、帝政時代は勲章・記章が領邦毎に発行されており、取り付け方法も統一されていなかった。
  3. ^ 『MAMOR』(扶桑社)各号の「Air Mail」参照。
  4. ^ 陸軍の場合 Army Regulation 670–1 Chapter 29–11
  5. ^ Army Regulation 670–1 Chapter 24–12b他
  6. ^ Army Regulation 670–1 Chapter 20–10(12) 他
  7. ^ UNITED STATES NAVY UNIFORM REGULATIONS Article 3207〜3212 他
  8. ^ 勲章等着用規程(昭和39年4月28日総理府告示第16号)
  9. ^ 日本の場合、異なる種類の勲章でも下位の勲章を上位の勲章の後に授与されることはないので、このように規定されている(勲章等着用規程第七条)が、イギリス等ではその様なケースも珍しくないので、着用序列が詳細に決められている。
  10. ^ 金鵄勲章は軍人にとって最高の栄誉とされたので、この序列にかかわらずトップにもっていく者もいた。
  11. ^ 「インタビュー・制服の思い出」[『自衛隊1982ユニフォーム・個人装備』]
  12. ^ 香原勝文「自衛隊制服物語」[『自衛隊1982ユニフォーム・個人装備』]
  13. ^ 制服用の略綬に関する規程(平成15年5月1日内閣府告示第10号)
  14. ^ 勲章等及び略綬の着用について(通知)昭和57年(1982年)10月29日海幕総第4460号
  15. ^ 外国勲章等の着用について(通達)平成22年(2010年)9月10日陸幕人計第592号
  16. ^ a b 防衛記念章の制式等に関する訓令昭和56年11月20日防衛庁訓令第43号。防衛省情報検索サービス

参考資料

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  • 岩倉規夫、藤樫準二 『日本の勲章-日本の表彰制度-』 第一法規出版、1965年1月。
  • J1 J2 『自衛隊1982ユニフォーム・個人装備』 池辺茂彦 編、KKワールドフォトプレス、昭和56年。
  • Mike Chappell (1987年). The British Army in the 1980s. London: Osprey Pub.. ISBN 978-0-85045-796-4.
  • P1 P2  Ronald Pawly; Patrice Courcelle (2003年). The Kaiser's warlords. Oxford: Osprey. ISBN 978-1-84176-558-7.
  • Jeff Warner (2007/9/15). U.s. Navy Uniforms and Insignia 1940-1942 (U.S. Navy Uniforms in World War II Series). Schiffer Pub Ltd. ISBN 978-0764325830.
  • Alisby, Christopher J. (2010). Collector's Guide to German Nazi Party Awards. Surrey: Ian Allan Publishing. ISBN 9780711034310.
  • DEPARTMENT OF DEFENCE (2000年). ARMY STANDING ORDERS FOR DRESS 2000 VOLUME 1, NSN 7610–66–133–3481: Commonwealth of Australia
  • Command of the Defence Council (2004). UNIFORM DRESS AND APPEARANCE REGULATIONS FOR THE ROYAL AIR FORCE PRINCESS MARY’S ROYAL AIR FORCE NURSING SERVICE AUXILIARY AND RESERVE FORCES, AP 1358 (6th Edition): MINISTRY OF DEFENCE

関連項目

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